阪神大震災 被災地の企業11社が備蓄食の詰め合わせBOX開発 おいしく食べて循環
阪神大震災が起きた平成7年、フェリシモは本社を大阪から神戸に移転した。矢崎和彦社長は「決断に一切迷いはなかった」と言い切る。矢崎氏にこの30年を振り返ってもらった。
フェリシモは昭和40年、大阪で創業。通販事業の発展のため「ファッション都市」を宣言した神戸を第二の創業の地に選んだ。
移転は平成7年2月に予定していたが、1月17日に震災が神戸を襲う。入居予定のビルが「折れた」との情報が入り、矢崎氏は神戸に駆けつけた。情報は誤りで、建物の安全性は確認できた。
「結婚式前日に花嫁がけがをしたからといって結婚を白紙にするなんてことはしない」
そんな例えで社員に移転の決行を宣言、鉄道や道路などインフラが復旧した9月に引っ越した。
顧客からは「大丈夫か」と問い合わせが相次いだ。それは「商品が無事届くのか」というよりも神戸を心配してくれる声で、支援物資や義援金が続々と届いた。
「単なる売る人、買う人という関係を超えた絆を感じました」
義援金は約4千万円にのぼり、日本赤十字社に寄付。さらに支援を継続してもらうため「毎月100円義援金」を顧客にお願いしたところ、7年から6年半で総額4億円を超えた。被災した10市10町のまちづくり協議会やNPOに意見を求め、地域が必要とする事業にお金を使ってもらった。
平成23年3月11日午後2時46分、神戸の本社ビルが大きく揺れた。東日本大震災の発生である。
「今度はわれわれがお返しする番だ」。矢崎氏は大阪での打ち合わせを切り上げて帰社した。その時の光景が今も忘れられない。社員が集まり、会議室のホワイトボードに書き込んでいた。今すぐやるべきこと、誰が、どの部署が何をやるのか。優先順位と役割分担を次々に決めていた。
「社長不在でも勝手に動いていた。社員を心から頼もしく思いました」。社員が続々と被災地に向かう。「どこから来た」「神戸から来た」。手を取らんばかりに喜んでもらえたという。