<紡ぐ思い・センバツ2021北海>選手へのエール 野球部OB 渡辺洋介さん(43) /北海道
◇一つでも勝ち上がって あの時、テレビ画面は建物や高速道路が崩壊した街の惨状を映し出していた。至る所から立ち上る煙。不安がよぎった。「大会は開かれるのか」 1995年1月17日。兵庫県南部を中心に最大震度7の大地震が襲った。センバツは例年3月に開幕する。第67回大会は、阪神大震災の影響で開催が危ぶまれた。 この前年、夏の甲子園で8強入りした北海は国体でも34年ぶりに2回目の優勝を飾り勢いに乗っていた。そのチームの主将を秋から任された。 甲子園でも好投したエース・岡崎光師投手を中心にチームは勝ち上がるたびに自信をつけ、13年ぶりに秋の全道一に輝いた。センバツ出場は、震災の影響で3週間遅れて開かれた2月21日の選考委員会で決まった。 しかし、選手は一様に神妙な表情を浮かべた。大西昌美監督(当時)から派手なガッツポーズなどをしないよう普段から言われていたこともあるが、「被災地のことを思うとなおさら、喜びを表に出すことはできなかった」。 初戦の相手は、被災した同県西宮市の報徳学園。「被災地の学校だが、失礼のないよう全力を出し合って勝負しよう」。試合前、こう呼び掛けた。 序盤は北海が本塁打などでリードし、岡崎投手も6回まで無安打に抑えた。だが終盤、雰囲気にのまれた。地元・報徳学園の反撃に沸くスタンド。遊撃手の守備位置にも相手応援団の声援が響く。守備が乱れ、逆転を許し3―4で敗れた。 「今でもチームの力はこっちが上だったと思うが、負けたということは実力がなかったということ。夏に向け、前を向いた」。全国レベルでの一戦が自分たちを見つめ直す貴重な経験となった。 昨秋、北海が出場予定だった明治神宮大会は新型コロナウイルスの影響で中止となった。「トップチームのレベルを肌で感じることができるいい機会だったが、仕方ない。それだけに甲子園では1試合で終わってほしくない」 初戦の相手は、くしくも地元の神戸国際大付(神戸市)。最速145キロの右腕エースで高校通算20本塁打の記録を持つ阪上翔也投手(2年)を擁する。 センバツを勝ち上がるカギは「投手力」。同じく最速145キロの左腕・木村大成投手(2年)に期待を寄せる。「甲子園は選手が成長できる場所。グラウンドには持ち帰るものがたくさん落ちている。一つでも二つでも勝ち上がってほしい」【三沢邦彦】=随時掲載