「早く引退してマッドな何かになりたい」糸井重里73歳、コロナ禍の社長業で思うこと
糸井重里が思う「社会を変える」ということ
1948年生まれの糸井は、かつては学生運動に身を投じた世代だ。やがてコピーライターになると、80年代には「不思議、大好き。」「おいしい生活」といったキャッチコピーとともに世に広く知られる存在になり、ときには批判されることもあった。 そして、日本を狂乱させたバブル時代も遠くなった1998年、糸井は発注されて仕事をする立場ではなく、自分でメディアを作る立場を選ぶ。ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の誕生だ。その運営母体だった有限会社東京糸井重里事務所は、2016年に「株式会社ほぼ日」へと社名変更され、2017年にはJASDAQへの上場を果たした。
現在の糸井は、上場企業を経営する資本家である。しかし、彼の言葉の根底には、労働者階級の出身ならではの泥臭さがある。2021年、岸田文雄新首相は、新自由主義の見直しを公言した。経営者でありながら、既存の資本主義にのみこまれまいとしてきたのも「ほぼ日刊イトイ新聞」以降の糸井だった。 「強いイデオロギーを持っている人たちが支持されるということが繰り返されてきたけど、社会の中で、どういうふうに生きていくかっていうのは、実は難しいんですよね。アニメは、遠くの景色を描く遠景のセル、真ん中あたりの建物やお店を描いている中景のセル、それから主人公と登場人物たちが動いてる近景のセルと、3枚のセルを重ねて物語を作っていくんです。でも、遠景がどう変わろうが中景と近景のところで人は生きている。近景にほとんどの悩みや喜びがあるんだとすれば、その近景のひとりずつの喜びが踏みにじられませんように、っていうのが僕の望み」 そう述べる糸井自身は、「遠景」、つまり社会を変えるという学生時代の望みは捨てたのだろうか。
「遠景にも興味はあります。たとえば、犬猫の殺処分を見て、みんなが知ってる犬と猫になれば殺されにくくなるから、犬や猫が迷子になったときに役に立てる『ドコノコ』というアプリを始めた。運動としてやれる範囲でみんながちょっとずつ手伝っていくと、世の中が変わっていく実感があった。何年か前に比べて、行政がものすごく動いてくれてるんです。僕らが近景と中景の部分でわいわいわいわいやっていて、その向こうにあるものに触れていくことで遠景も変わっていくこともあるでしょう」