桜島フェリー就航90年 かつての“ドル箱”9年連続赤字の危機も…「これからもフェリーのある景色を」
南日本放送
桜島フェリーが就航して来月で90年です。通勤・通学などの日常生活や観光客らの足となってきた桜島フェリー。その歴史を振り返ります。 【写真を見る】桜島フェリー就航90年 かつての“ドル箱”9年連続赤字の危機も…「これからもフェリーのある景色を」 薩摩半島の鹿児島市と桜島を結ぶ桜島フェリー。来月1日で運航開始から90年を迎えます。 (記者)「乗船時間は15分ほど、錦江湾の気持ちのよい風を感じながら移動できるのも桜島フェリーの魅力です」 現在、運航しているのは、2015年に完成した第二桜島丸など4隻。国内の定期船で唯一24時間運航で、桜島の住民や観光客を運んできました。 (桜島から)「通院とお見舞いと買い物。乗り心地がいい」 (鹿屋市から)「遠出するので、福岡に行って帰ってきて、フェリーに乗って帰るとか。24時間やってるので、桜島フェリーを使う方が(他の交通手段より)すごく多い」 (鹿屋市から親子)「待ち時間が短いことと、車で陸周りよりは少し休憩もできるので桜島フェリーを利用する。(子どもたちは)船が良いと喜ぶ」 「景色を見て過ごしている」 桜島フェリーは昭和9年=1934年12月1日、民間が運営していた船を買収し、旧西桜島村の村営船として始まりました。1914年の大正噴火で壊滅的な被害を受けた住民生活を支えようと、開始当初は月に210回、1日あたり7便運航。 フェリーは市街地側にあった市場で商売をする住民の足となったほか、子どもたちの島外への通学も可能にし、学びの選択肢を広げました。 定期船の運航は桜島観光にも大きく貢献します。1941年、貨物自動車3台を乗せられる、日本初のカーフェリーが運航。 1960年に就航した第六櫻島丸は、それまでの木造ではなく鋼鉄製。大型バスを10台乗せられ、本格的に自動車を輸送できるようになりました。旅客定員は500人と輸送量は当初の3倍以上に。 1978年には夏の風物詩・納涼観光船がスタート。船の上は連日、にぎわいました。 このころ誕生したのが「やぶ金うどん」です。短い移動時間内に食べてもらうため、新徳國公会長が当時、導入したのが、東京で目にした「立ち食い」スタイル。6種類の魚から出汁をとるなど、“早くておいしい”うどんは、桜島フェリー名物になりました。