「白は200色あるけれど美しさの色は無限」アンミカの“美”の礎となった「母の教え」[FRaU]
社会や環境だけでなく、自分自身の心に耳を傾け、心地よい生き方を求める時代となった今、美容を特集する上で一つの疑問が。そもそも、「美しさ」とは一体何か――? その答えが知りたくて、ゆるぎない個性を発揮し、さまざまなフィールドで活躍するモデルでタレントのアンミカさんにお話を伺いました。
「また会いたい」と思われる 居心地のよい人が美しい
7人家族、4畳半の部屋で生活をした幼少期。貧しさを笑顔で楽しむ母の教えが、ポジティブな光を私たちに注いでくれるアンミカさんの大きく美しい笑顔の礎となった――。 私は美を意識したのが5歳でした。それは、小さいながらに容姿に大きなコンプレックスを抱えていたからです。唇の裏が真っ黒になる怪我をしたことがあったのですが、笑うと丸見えに。周りの子たちから『お化け!』と呼ばれてしまうことがあったんです。それが心の傷となり、笑うことが怖くて猫背で下を向いている暗い子に。そんな私を励ますためなのか、母からよく言われていたのは『美人というのは、一緒に居て心地がよい人だ』ということでした。顔の造作ではない、美しい人になるための方法を母から教えてもらい、美に対する憧れが強かった5歳の私は、その4つの教えを毎日守りました。 一、姿勢を良くする。二、相手の目を見る。三、口角を上げて笑顔になる。四、人に伝わる会話を心掛ける。姿勢・目線・笑顔・会話を意識すれば、一緒に居ると笑顔が伝染して、『また会いたいな』と思ってもらえる人になれるんだよ、と。そしていつしか、大人たちからその姿勢を褒めてもらえることが増え、同級生たちのお手本の存在になりました。この経験は、自信に繋がりましたね。今でも一緒に居て心地がよいということは、美しさの一部だと思っています。
自信を取り戻した私は、20歳の頃、ショーモデルとして世界の舞台にチャレンジしました。当時は、アジア人モデルがいないショーが当たり前。私が活動をし始めた頃は、『皆が美しいと思うものが美しい』というマジョリティの物差しが強かったように思います。細い体型をクリアした上で、表情やウォーキングの癖が個性と言われる時代というのでしょうか……。 でも今は、『モデルはこうでなければならない』という見方ではなく、人種も肌の色も体型も関係なく、一人一人のバックボーンを知った上で美しいと認め合う時代になっていますよね。そうやって数年単位で美の定義が変わっているのも感じています。