竹内まりやとTM NETWORKのデビュー作、時代によって左右されるポップ・ミュージック
ポップ・ミュージックがいかにテクノロジーの進化とともにあるか
金曜日のライオン / TM NETWORK 作詞作曲は小室哲哉さんですね。パーカッションですよ。シンセのグループっていう感じがそんなにしないですね。プロモーション・ビデオが残っているんです。あれ、こういう感じだっけと思ったのが、木根尚登さんがキーボードを弾いている、しかも左の隅で。フロントにいるのがヴォーカルの宇都宮隆さんと、ショルダー・キーボードの小室哲哉さんなんです。合成画像で作られていて、3人は演奏しているアクションだけ。途中南の島の飛行機とか、アラブの景色のイラストが入ったり、アフリカの映像が流れたり、一言で言ってしまうと低予算ビデオですね。あ、こういう始まりだったのかというのが、とてもわかりやすいプロモーション・ビデオになっていますね。ここから今に至ったんだということをあらためて思いながらお聴きいただければと思います。 RAINBOW RAINBOW (陽気なアインシュタインと80年代モナリザの一夜) / TM NETWORK 1984年4月21日発売、TM NETWORKのデビュー・アルバム『RAINBOW RAINBOW』のタイトル曲「RAINBOW RAINBOW」。サブタイトルすごいですね。アインシュタインとモナリザですからね。小室哲哉メロディはちゃんとありますね。誰もが口ずさみたくなるメロディと転調の効果みたいなことが計算されている。宇都宮隆さんの歌も「あ、うつだな」みたいな。そういうのはちゃんとあるんですけど、音はかなり違いますね。ポップ・ミュージックがいかにテクノロジーの進化とともにあるかという、本当にいい例ですね。 「RAINBOW RAINBOW」という、虹には2つの意味がある。1つはサイケデリックとヒッピーでもう1つは虹の7色では収まらない音楽性ですね。ただ、プロモーション・ビデオはやっぱり演奏シーンがメインなんですけど、その後のライブ映像みたいな形ではなく、弾いてますというだけの演奏シーンですね。木根さんはやっぱりキーボードを弾いているんですね。最初はキーボードが2人のバンドだった。 TM NETWORKというのは東京の多摩地区というローカルな意味合いがこもっていて、当時3人はスピードウェイというハードロックのバンドをやっていた。小室哲哉さんはヘヴィメタ少年ですからね。これは彼から聞いたことがあるんですけど、アリス・クーパーのファンクラブに入っていたと言っていましたね。その一方でYMOが出てきて、たまたま遊びで作った多重録音のインストゥルメンタルのアルバムをレコード会社の人に送って、ここに歌が入っていたらというふうに提案してくれたのが、エピックの小坂洋二さんだった。エピックの名物プロデューサーですね。スピードウェイを解散して組んだのがTM NETWORK。デビュー・アルバムであらためてこれも目を引いたのですが、作詞をしたのが麻生香太郎さんが3曲で、西門加里さん、さっきの「RAINBOW RAINBOW」もそうですけど、カーリー・サイモンのもじりでしょうね。後の小室みつ子さん。彼女が4曲。小室哲哉さんが2曲。作曲が小室さんが5曲で木根さんが3曲で、木根さんと小室さんが書いているのが1曲。そういう関係のグループだったんですね。木根尚登さんの曲をお聴きいただきます。 パノラマジック (アストロノーツの悲劇) / TM NETWORK 作曲が木根尚登さんで作詞家が麻生香太郎さんですね。小柳ルミ子さんとか野口五郎さんとか、アイドルや演歌に詞を書いていた東大出身の作詞家で80年代からジャーナリストになって、エンタメ評論家として雑誌「日経エンタテインメント」でずっと連載していた。この曲はTM NETWORKという名前になって、最初にレコーディングした曲の1曲なんですね。もう1曲が後ほどお聴きいただきますが「1974」。そのときは詞も木根さんだったんですけども、こういう形で作詞家を起用するという形のアルバムになったんですね。ドラムもベースもない。木根さんはキーボードもやっていましたし、打ち込みのユニットでライブをやらなかったというのが、デビューしたときの彼らの1つ大きな特徴、特異性でしょうね。 ライブをやらないんですというのが前提になっていた。なんでかと言うと、自分たちのやりたい音楽を完全に視覚化するためには、機材が追いつかない。その機材を手に入れる予算がないということが一番正直なところなんでしょうが、映像の中で自分たちのライブを表現しますということで、ビデオ・デビューみたいな形でしたね。その後の彼らの活動がシンセサイザー、キーボードが進化するにつれて音楽性が変わってきたというのは、みなさんご承知の通りなのですが。TBSでフレッシュサウンズコンテストというコカ・コーラのコンテストがあって、それで優勝するんですね。1983年か。その翌年にコンテストに凱旋で彼らがゲストで出たんです。それを見に行ったのが最初ですね。内容は全然覚えてないんですけど、そのときに担当していた坂西伊作さんという、当時のエピックの映像関係を全部切り開いた敏腕プロデューサー、彼が「日本にいないバンドだよ」と叫んでいたのはよく覚えていますね。 ワンマンで見たのが1985年の10月の日本青年館。初めてのツアー「DRAGON THE FESTIVAL」。これは印象的でしたね。宇都宮さんがパントマイムみたいな動きをしていてそれと音楽がすごく合っていたというのと、アンコールがなかったんです。アンコールをやらないのはなんでだろうと思ったら、コンピューターで連動しているから、アンコールに対応できないんですって話を聞いた覚えがあります。そういう意味では当時のバンドと明らかに見ているところが違いました。そのコンテストで歌ったのがこの曲ですね。「1974(16光年の訪問者)」。 1974 (16光年の訪問者) / TM NETWORK コンテストで優勝したのはこの曲ですね。そのときも木根さんと小室さん、キーボードが2人だった。TMという言葉にはタイムマシンネットワークという意味もありますね。変わるものと変わらないもの。メロディも歌も変わらない、音は変わっていくんですね。サウンドは洋服みたいなものでしょうからね。常にその時代の最新のものを取り入れていくという。 彼らの最大の転機が1986年の『Come on Let’s Dance』でしょうね。ファンクスという言葉が登場しましたからね。ファンキーのファンクとパンク。パンキッシュのパンクとファン、音楽を聴いているファン、この3つが合体した言葉ですね。小室哲哉さんはそういう造語、コピーワークの達人であります。そこからダンス・ミュージックとして大きく開花していった。そこまでがアーリーということになるでしょうね。YMOがコンピューターを取り入れたのは、やっぱり実験性がとても高かったんですけど、それを大衆音楽として開花させたのがTM NETWORK。その小さな芽がこのアルバムにありますね。 デビュー45周年、竹内まりやさんの『BEGINNING』からお聴きいただきます。なにはともあれデビュー曲。1978年11月発売、アルバムと一緒に出ました。