石破茂首相に「一言申し述べたい」…!所信表明演説で引用した「石橋湛山の言葉」を歓迎し、二度と「就職氷河期」を繰りかえさないために「肝心なこと」を提言します
石破茂首相が「石橋湛山」を引用した意味
はや師走となり、まもなく2025年を迎えようとしている。今年の政治で印象深かったことは、石破茂首相が、所信表明演説で石橋湛山の言葉を引用したことである。 【一覧】「次の首相になってほしい政治家」…上位に入った「意外な議員」 この意味を私なりにどう捉えたか、今年をまとめる意味でも、一言、石破首相に申し述べておきたい。 2024年11月29日、石破首相は、石橋湛山首相の所信表明演説の言葉を「はじめに」と「結論部分」の2か所で引用した。 1956年12月に成立した石橋湛山内閣は65日しか続かず、短命内閣の演説を引用するのは縁起が悪いとして、これまでその言葉が引用されることはなかったからだ。 引用された箇所は、「民主主義のあるべき姿」、「日本は世界とともに歩まなければならない」、一部の利益ではなく国民全体の福祉のために論議を尽くすという至極まっとうな言葉である。
石橋湛山が目指した「不況を起こさない政治」
そもそも石橋湛山はどういう思想の人だったのだろうか。 石橋湛山は雇用こそが大事、そのために金融財政拡張が必要で、それによって日本の自由も民主主義も平和的発展も可能になると考えていた。 その思想を、1920年代と30年代にはジャーナリストとして、1946年には蔵相として実行しようとしたが、47年占領軍による不当な公職追放で挫折した。1951年追放解除後、紆余曲折を経て1956年12月に首相となって、さらに実行しようとした人である。 病に倒れ首相を辞することになったが、もしそうでなければ、高度成長は池田勇人首相ではなくて石橋湛山首相の下でより早期に始まっていただろう。 一方、石破首相は財政金融緊縮論を唱えていた。著書の『保守政治家』(235-236頁、講談社、2024年)に、異次元の金融緩和は円安株高、企業収益の増加、失業率の低下など成果もあったが、「日銀財務の悪化、財政規律の麻痺、銀行の体力低下」などを引き起こしたから金融緩和は良くないと書いてある。 私は、この考えにひとつ釘を刺しておきたい。 石橋湛山は、財政金融拡大政策論者であり、失業は最悪の罪悪だと言っている。 石橋は、昭和恐慌後の不況期の1932年(昭和7年)に『インフレーションの理論と実際』(東京書房)を著して、こう語った。 「不景気は人生最大の浪費、最大の罪悪である。……しかるに我が国は、昭和2年(1927年)の金融恐慌を起こし、最近では金解禁の恐慌(1929年の昭和恐慌のこと)を重ねつつある。我が国が人口多くして貧乏なりと、近来特に高唱される原因はこの永年の不景気恐慌のためである」 そのうえで、当時の不況が金融政策の誤りで生じたことを説明している(以下引用は、原田泰『石橋湛山の経済政策思想』第5章、日本評論社、2021年、による。ただし、引用文は簡略化している)。 さらに、石橋は財政拡大論を唱え、「今日の我が国には、国民の福祉と将来の産業振興から考え、道路、運河、河川修築、上水、下水等大にこれを起こすを必要とする事業は多い。これらはそのこと自身に有用な事業である。 しかし幸いにして今物価の高騰(石橋は、3割下落した物価を元の水準に戻すことを提案している)をはかる必要があるとすれば一石二鳥の妙法である」と説明している。