歳の差15、それぞれ別の想い人あり。そんな二人が支え合い、だんだん夫婦になっていく。『ながたんと青と-いちかの料理帖-』 #京都が舞台の物語【書評】
『ながたんと青と-いちかの料理帖-』(磯谷友紀/講談社)という作品が格別好きなわけを聞かれたら、いくらでもいつまでも挙げることができそうだ。
主人公・桑乃木いち日(くわのき・いちか)が家族や知人と交わす京の言葉(文字と声がなめらかに結びついてイントネーションや間や笑いまで感じられる!)、戦後すぐという時代を映した和服や洋服、京都は東山に立つ料亭「桑乃木」の建築に調度。供される料理は目に美しく、辛みや質感までも鮮やかに、再現欲をそそるレシピ(例えばそれは「トリュフ風味のオムレット・ノルマンヂー風」「鯛の骨せんべいとお茶漬け」「賀茂なすと鶏の南蛮漬け」といった具合)によって作品の内外を緩やかに接続させる。 古都の街並みが70年ほど前の時間ごと紙の上に存在するという事実には、「好き」という2文字では到底表しきれない奇跡のような光を手渡された心持ちになる。交わったりわずかにずれたり一方的に注がれたりする人物たちの視線、口の悪さ、正直さの表し方とその変化、この時代ならではのものでありながら現代にも直結する「女だから」という抑圧への静かだけれど強固な反発に、家族の形と愛の多彩さに……好きの羅列だけで原稿の最終行まで突っ走ってしまいたくなるほど、数えきれず、語りきれない魅力に満ちた長編作品だ。 物語の始まりは1951年の春。200年続く料亭を共に継ぐはずだった夫を戦争で失ったいち日はホテルの厨房で西洋料理のコックとして働いている。5歳離れた妹のふた葉(ば)に持ちかけられた縁談から急転直下、妹の駆け落ちを経て15歳年下の山口周(やまぐち・あまね)と再婚することが決まり、隣に座る人とは別の想い人を互いに胸に留めたままふたつの家の思惑と願いが形をとった新生活がスタートする。 いち日と周は、新婚の夫婦としてというより「桑乃木」を立て直す同志として意見を交わしあい、ぶつかりながらも少しずつ信頼を深めていく。やがて「女だから」という理由で厨房に入ることを禁じられていたいち日が「桑乃木」の料理長になる日がやってくる。現代ならばさしずめ敏腕マネージャーと呼ばれるだろう周はまだ19歳だが、大学で経営を学びながら、ときに強引に、どこまでも冷静に、いち日の才能を信じて料亭の再興に力を注ぐ。 二人の養子として東京から連れてこられた少年・みちや、いち日の母・愛子(あいこ)、出奔から帰ってきたふた葉と料理人の慎太郎(しんたろう)、山口(やまぐち)家の兄たちとそれぞれの妻など、二人を取り巻く人々の視点も交えながら、いち日と周の視点が近づいたり離れたりしながら、やがて重なり同じ未来を指向してゆく様は甘やかにしてスリリング。2017年の連載開始から7年、単行本が12を数えるまでに、二人の関係は揺らぎながらもいつしか同じ将来を見つめる夫婦のそれになっている。 「過去は変えられない」という言葉は納得感とともに受容されることが多いけど、そんなことないよね、と実感させてくれるマンガがある。『ながたんと青と-いちかの料理帖-』もまた、歴史とフィクションを丁寧に撚り合わせ、人の感情を丁寧に立ち上げることで、戦後の日本とそこに生きる人々の日常を鮮やかに塗り替えてみせる。こんなマンガを永遠に読んでいたい。 文=鳥澤光