幻の原爆投下「第1目標」地点にいた祖父。「もし死んでいたら、私もいなかったかも…」 被爆地でない場所で、36歳女性が語り部になった理由
かつては福岡県内にいる被爆者も多かったが、高齢化に伴い減少している。被爆者として語れるのは広島で体験した3人と長崎の6人の計9人しかいない。福岡市原爆被害者の会は危機感を覚え、語り継ぐ方法を模索し考える会合を2022年秋に開いた。 「一人では難しくても、みんなで語る朗読なら、平和を語り継ぐ活動に踏み出しやすいのではないか」。国川さんたちはそう考え、被爆体験や原爆に関する物語などを複数人で朗読するグループ「おり鶴の声」を結成。2023年1月ごろから練習を始めた。 2023年4月に福岡市内で初の朗読を披露し、今後も県内の公民館などで朗読を披露する予定だ。グループには12人が所属し、そのうち被爆者は1人だけだという。 ▽何かしないと 「何か、せないかん(しなくては)」。核廃絶を訴え、被爆体験を後世に伝え残す。被爆者の思いを語り継ぐため、被爆者以外のメンバーが語り継ぐ取り組みも始めた。自分自身の被爆体験を語る「証言者」と、誰かの体験を語り継ぐメンバーを「伝承者」と呼び分けている。活動中の伝承者は現在4人。うち2人は2世だという。
「おり鶴の声」の朗読には、最初から1人で体験を語るのはハードルが高くても、複数人での朗読を経験後、1人で語る「伝承者」になれたらとの考えもある。和田さんはそのようにして伝承者になった1人だ。 広島市は2012年度から被爆者本人に代わり体験を語り継ぐ「被爆体験伝承者」の養成制度を始めた。長崎市も被爆者の家族や交流がある人らを対象に「家族・交流証言者」を募集し、体験を伝える取り組みを進めている。 福岡市原爆被害者の会は5月、広島市から被爆体験伝承者を呼び、実際に「証言」を語ってもらった。「本当にその人になったようだった」と国川さんはその驚きを振り返る。 ▽「おり鶴さん」 「おり鶴の声」の由来は、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の月刊紙で連載されていた反核への思いを描く4こま漫画「おり鶴さん」にある。 漫画には反核・反戦活動に取り組むたくさんの被爆者たちが「おり鶴さん」と呼ばれて登場する。長崎で被爆した作者の故西山進さんは著書で「私であり、あなた、被爆者みんな、そして被爆者の志を継ぐみんなが『おり鶴さん』です」とつづっている。
国川さんは被爆2世で、元小学校教員。教員として平和教育に携わり、長崎で被爆した母の話も聞いた。「被爆者が目に見えて減っていく。今いる人間が伝えていかなくては」と考えた。「私たち一人一人が『おり鶴さん』。発する声は『おり鶴の声』でしょう」と説明する。 現代と過去をつなぐ糸を見つけ、たぐり寄せながら戦争を伝えている人たちがいる。和田さんは、「祖父」と「原爆に遭った一人っ子」という、自分と戦争をつなぐ2本の糸をより合わせ、安部さんの体験を語り継ぐに至った。国川さんも糸を紡ぎ続ける一人だ。福岡の地でも、新たな「語り継ぐ」活動が始まりつつある。