幻の原爆投下「第1目標」地点にいた祖父。「もし死んでいたら、私もいなかったかも…」 被爆地でない場所で、36歳女性が語り部になった理由
和田さんが語ったのは、13歳の時に広島で被爆し両親を亡くした安部民子(あべ・たみこ)さん(2022年に90歳で死去)の体験だ。和田さんにとっては初めての舞台。「誰か」の経験を語り継ぐ「伝承者」としてデビューした。 ▽戦争のない世界を 安部さんは原爆が投下された時、広島市から離れた町にいた。広島市内にいた両親に会うため市内に入り、目を覆いたくなるような光景に衝撃を受けたという。 見つけた母は「首から下は黒焦げ、顔だけは生焼け」で、気を失った。母の遺体を骨になるまで焼きながら、泣きじゃくった。父は生き残ったが、全身にやけどを負っていた。体は次第に腐っていき、頭に開いた野球ボールほどの穴や両手足の無数の穴の中では、ウジ虫が動き回っていた。 安部さんは後世に次のようなメッセージを残している。「原爆の恐ろしさ、悲惨さを一人でも多くの人に伝えてください。戦争がどれだけむごいものか話してほしいのです。やがて大人になったら、どうか戦争のない世界をつくってください」 ▽「一人っ子」鍵に
和田さんが安部さんの体験を語り継ごうと思った理由の一つは「一人っ子」。昨年夏、一人っ子の安部さんの証言を読んだ際、同じ一人っ子の和田さんは感情移入し涙があふれ止まらなかった。語り継ぐと決め、半年ほどかけて原稿を作り、練習を続けてきた。 証言を聞いた松原望さん(14)は「残酷だと思った。自分でも被爆について調べて伝えていきたい」と話した。 ▽福岡で「難しい」 「被爆地には、立派な資料館があり、語り継ぐ制度もある。でも私たちはこの部屋だけです」 福岡市内にある、民間の福祉団体が拠点を置く総合福祉センター「ふくふくプラザ」の一室で、福岡市原爆被害者の会証言グループのリーダー、国川利子さん(69)はそう話す。「難しいですよ、福岡で語り継ぐって…」 被爆者は全国各地に住む。被爆後、結婚や就職、さまざまな事情で転居した。福岡県内の被爆者数は5117人(2021年3月末時点)。広島、長崎に次ぐ3番目の規模数だ。その後、東京都4402人、大阪府4288人が続く。