専門家が「専門外」についても語る社会は健全か 「数値を出さなきゃ意味がない」が逃す利得
こうした背景をふまえると、「専門家に聞けばわかるだろう、論文出してるし」と、そんなに簡単には言えなくなってくる。「AIのとこは自信がありますけど、創薬のほうは正直わかってなくて……」という「専門家」が、創薬に関する「エビデンス」を創出している、とも言えるからだ。 ■うなぎ屋はうなぎしか出すべきでないのか ここで一つ「うなぎ屋問題」というクエスチョンを提起したい。将棋が好きな方ならご存じであろう「藤井システム」で知られる、棋士・藤井猛さんの発言から着想を得たものだ。藤井さんは振り飛車(四間飛車)という戦法を最も得意とし、「こっちは、うなぎしか出さないうなぎ屋だ。ファミレスのうなぎに負けるわけにはいかない」という有名なフレーズを残している。
つまり、さまざまな戦法やスタイルがあるなかで、藤井さんは一つの戦法に専念している。自分はうなぎ屋(振り飛車党)なので、うなぎ(振り飛車)しか出さないし、うなぎ屋以外(振り飛車党でない人)が出すうなぎ(振り飛車)には負けたくない、という考え方である。 この話は専門家にもあてはまる。たとえば、私がイノベーションの専門家だとしたら、イノベーション「だけ」論じるべきなのか。そして他分野の人がイノベーション研究を発表した場合、どうリアクションすべきなのか。専門家は、いかに専門性を限定する(しない)べきか。これがうなぎ屋問題である。
この問いについて、ヒントとなる論文がある。経営学のトップ専門誌である『Academy of Management Annals』にて今年発表された論文で、タイトルは「経営学研究における専門知」(主題を筆者が邦訳)。 つまり、「エキスパート」や「プロフェッショナル」と称される専門「家」ではなく、“expertise”、つまり専門「知」に着目しているのだ。専門知とは専門家から生み出された知識であり、専門性のない素人でも活用できると一般的には考えられている。