放送作家&俳優に憧れ出会ったふたりが、コント師・ラブレターズになるまで。「結成当初はテレビで放送できないアングラ演劇のようなネタばっかり」【1万字インタビュー前編】
影響を受けた『爆笑問題カーボーイ』と阿部サダヲ
──溜口さんとは日芸で知り合っているんですよね。 溜口 塚本さんとは年齢は一緒なんですけど、僕は現役だったので大学では1個上の学年で、映画学科の演技コースにいました。塚本さんは文芸学科で、俳優志望にこういう風貌の人はなかなかいないので、生徒の自主制作映画に塚本さんがちょいちょい出ていたんです。その流れで知り合って、文芸学科なのに役者として出てるし、テニス本気でやってるし、なんだこの人は?って感じでしたね、最初は。 塚本 文芸学科で友だちができなかったんですよ。代わりに、映画学科の人たちからなぜか役者として呼ばれることが多くて。それ以外はひたすらテニスです。あ、でも放送作家のスクールにも通ってました。無料のところにふたつぐらい通いましたけど、全然ダメでしたね。テニスは優勝できるのに、作家の成績は底辺っていう。 ──大学時代、お笑いのライブに行ったりは? 塚本 佐々木くんが大学を1年で中退して、吉本の養成所に入ったんです。それで、たまにライブとかにも出ていたので、お笑いライブは佐々木くんが出ているのをずっと観に行ってました。 ──溜口さんは、どんな思春期でしたか? 溜口 テレビのバラエティと野球が大好きで、塚本さんと同じく『ごっつええ感じ』とかも観て、野球部で汗を流す普通の野球少年でした。お笑いに夢中になったのは、『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)の影響が大きいかもです。高校生のときには番組宛にメールを送ったりもしていて、爆笑問題のおふたりが日芸出身というのもあって、日芸に入りましたから。 ──演技コースを選んだのはどうして? 溜口 単純に目立ちたがりでミーハーだったんですよね。高校時代は文化祭でネタやったりもしていて、人前に立つことは好きだったし、裏方よりは表に出たいなと思って。 ──その当時は、どんな俳優を目指すというか、イメージしていたのでしょうか。 溜口 阿部サダヲさんですね。兄がすごい演劇好きで、その影響で「大人計画」とか「ナイロン100℃」の舞台を観ていたので、正統派の俳優ではなく、演劇的な笑いも取れる個性派に憧れていました。 ──演劇のほうに興味があったんですね。 溜口 大学時代は、つかこうへい劇団の養成所にも通っていました。そのあと、20歳のときに、まわりが就職するか映画などの道へ進むのか考え出したタイミングで、僕は小劇場のオーディションを受けていたんです。そんなころに「拙者ムニエル」という劇団でも募集があり、受けてみたら合格して、劇団員になりました。 ──2004~2005年ごろの「拙者ムニエル」は、本多劇場でも公演する勢いのある劇団でしたね。 塚本 なので、僕が知り合ったときは「拙者ムニエル」の劇団員で、在学中から有名な劇団に所属していて、すごい人だなと思ってました。 溜口 これで卒業後も安泰だと思っていたんですけど、卒業してちょっとしたら、劇団の事務所が倒産しちゃったんです。