「これが最後の年賀状です」宣言のススメ、それでもやめられない人は?
年末が近づき、慌ただしさが増すこの季節。大掃除や年越しの準備、新年の計画など、気ぜわしい日々を過ごしている方も多いのではないでしょうか。そんな時期だからこそ、「本当に必要なもの」を見極め、暮らしの余白をつくる時間をとりたいものです。本記事では、ミニマリスト・筆子氏の新刊『それって、必要?』(三笠書房)より、今回は郵便料金の値上げでさらに負担増になる年賀状のやりとりについて紹介します。 【この記事の画像を見る】 社会には儀礼的な行事がつきものです。お食い初め、七五三、入学式、成人式、結婚式、など。伝統行事は文化の一つなので、たいせつにすべきですが、世間並みに行事をしようとして、金銭的な負担やストレスを抱えて苦しい思いをしてしまうのだとしたら……。 カナダの幼稚園や学校には入学式がないので、最初は、「あれ?」と思いました。けれども、入学式がなくても、別に何の問題もないし、むしろ、大変ラクです。入園したり、入学したりすれば、いやでも本人は気持ちが新たになります。親がきれいな服を着て式に出なくても、気持ちのけじめはつくのです。 重要なのは、形だけの儀式ではなく、中身だと思います。私は、自分にとって意味のない慣習も手放してみました。たとえば年賀状を出すことです。 ● 儀礼的な行事で自分の時間をムダにしない 「年賀状は出すものである」と考えて毎年出している人がたくさんいます。出してはいるものの、じつは負担になっているという人も多いのではないでしょうか。
「出したくないなら出さなければいいじゃん」というのが私の考え方ですが、そうはすっぱり割り切れない場合もありますよね。ですが儀礼的に出している年賀状ほど、シンプルライフにそぐわないものはありません。 今年は年賀状を出す前に、自分の人生における「年賀状」の存在意義について考えてみてはいかがでしょうか。 ・毎年、義務感のみで出している ・年賀状のやりとりが何年も続いているだけで、相手の顔すら思い出せない ・毎年印刷した年賀状を出していて、一言添えない自分に罪の意識を感じている ・「年賀状を出す習慣なんて、なければいいのに」とひそかに願いながら書いている ・「しょっちゅう会社で会っているのに、なぜわざわざ年賀状を出さなければいけないんだろう」と疑問に思っている ・「ふだんよく会っているのに、なぜわざわざ年賀状で近況を知らせなければならないのだろう」と思っている ・もらった年賀状が捨てられず、処分や整理の方法に困っている ・暮れはすごく忙しくて、物理的に年賀状を出すのが負担になっている ・老眼が進みすぎて、年賀状なんて書くのも読むのもいやだ ・年賀状に発生する料金(葉書代、切手代、印刷代など)を出す余裕がない これらにあてはまる場合は、年賀状を思い切ってやめてみるのも一案です。 今年は出すけれど、「シンプルライフにしたいから、来年からは年賀状を出しません。これは最後の年賀状です」と宣言するのはいかがでしょうか。 対面や電話やSNSなど、どのような方法でもかまいません。思い切って伝えてみれば、いろいろな反応があると思います。 「じつは私も出さないことにしたんです」とか「私も常々やめたかったから、出すのをやめます」と申し出る人は意外に多いのではないでしょうか。 ● 少なくとも規模を縮小できないか? 年賀状を出すのをやめることができない人も、出す相手を大幅に減らすことはできます。規模の縮小です。出す人数を減らせば、金銭的にも、体力的にも、時間的にも負担が減ります。次のような人たちには出さない、と決めてみてはいかがでしょうか。