「魚5000匹をスケートリンクに氷漬け」で大炎上…7年前の大晦日に閉園した“ご当地テーマパーク”が突き進んだ独創的すぎる有終の美
閉園のネガティブムードを吹き飛ばす
以上が「魚リンク騒動」の一部始終である。それから間もない2016年12月16日、スぺワは2017年12月31日をもっての閉園を発表した。その理由として誰もが「経営難」を思い浮かべたが、運営企業は否定。同日付の日本経済新聞は関係者の話として、「賃貸契約更新の交渉が不調に終わったもよう」と報じている。 スペワは1990年4月22日、八幡製鉄所の遊休地にオープンした。当時の運営は新日本製鉄(現・日本製鉄)を中心とした第3セクターである。成人式も行われるご当地テーマパークとして地域とともに歩んできたが、97年をピークに入場者数が減少し、05年に民事再生法の適用を申請。北海道札幌市の加森観光が運営を引き継いだ。 閉園が明らかになると、閉園撤回を求める署名運動が始まった。当時の報道には、毎週のように子供と来園しているのに……と訴える声もある。一方でスペワは、閉園のネガティブムードをネタで吹き飛ばすという奇策を講じた。それを象徴するのが、2017年早春から公開したCMだ。
スケートリンクに「今年は何もいません!」
CMに映るのは、園を象徴する実物大のスペースシャトル模型と、その前にずらりと勢ぞろいしたスタッフたち。しんみりとした音楽の中、開園時のテープカットといった懐かしい映像に重ねて「本当にすみません。でも、最後まで頑張ります」とのナレーションが涙を誘う……はずが、音楽は突如軽快になる。すると中央に立っていた企画・営業部長の島田直幸さん(当時)が「なくなるヨ!」と声を張り、周囲が一斉に「全員集合!」とこぶしを振り上げるのだ。 そうして始まったファイナルイヤーは数々の迷企画が光った。ジェットコースター乗車時にかかるGで背中を刺激する「ツボ押しコースター」、甲子園の砂ならぬプールの水を持ち帰れるサービス、日本初「怪談観覧車」、園内の路面に落書きし放題……。そして冬は「普通のスケートリンク!」と堂々宣言。一家が「今年は何もいません!」と声をそろえるCMで、昨年の騒動すらネタに昇華してしまった。 この1年間は来場者数が増えたものの、資金的な苦しさは変わらなかった。9月には閉園イベントの資金集めとしてクラウドファンディングを開始。10億円の支援者にはスペースシャトル模型を“特典グッズ”とする企画も話題になったが、11月の受付終了までに支援者は現れなかった。加えて、閉園イベントにかかる費用も目標額である1500万円の62%しか集まらず全額返金に。スペワは採算度外視での開催を決断した。 そして訪れた最後の日、雨の大晦日にもかかわらず開園前からゲート前には傘を差した来園者の列が作られ、園内は大盛況。閉園のカウントダウンはスペースシャトルを中心に行われ、最後には「またいつか、別の星で、会いましょう」のメッセージが船体に映し出された。このメッセージと打ち上げられるスペースシャトルの下で、「全員集合!」CMのスタッフが全員敬礼をしている最後のポスターも、後述する星の命名と合わせて「見事な伏線回収」として話題を呼んだ。