山里亮太さん「ガラケー」から蘇った"父の意外な一面"に「泣けるなぁ…」 "ガラケー復活のためだけ"に日帰り&飛行機で高知へ!イベントに突如登場!
しかし、スマートフォンが普及した現在では、長らく使われていないことからバッテリーが劣化し、なかなか起動しない「ガラケー」もあります。また「ガラケー」の充電器を紛失してしまったという人も多く、「ガラケーの中に保存されている写真などのデータを取り出せない!」というケースもみられます。 イベントでは、こうした「ガラケー」のバッテリーを取り出し、専用の機械を使って充電します。再起動に成功しても、劣化したバッテリーではわずかな時間しか携帯電話を起動できないため、イベントでは、選んだ写真をプリントアウトしてもらうサービスもあります。 山里さんが持って来た「ガラケー」の中で最も古かったのは「2002年」のもの。久々に復活した「ガラケー」にすっかり夢中の山里さんは、その中に保存されていた何枚かの写真を、プリントアウトしました。 山里さんがプリントアウトしたのは、自身の若い頃の、“顔アップ”の写真。 2004年に「南海キャンディーズ」でM-1グランプリ準優勝後、多忙な中で高いレベルの笑いを求められプレッシャーを感じる中、相方のしずちゃん(山崎静代さん)だけが注目されていった時代を、山里さんは別のテレビ番組で「暗黒期」と振り返っています。 もしかしたら、山里さんは当時、これらの「ガラケー」を手にしながら、必死に、歯を食いしばっていたのかもしれません。 復活した自身の「ガラケー」を見た山里さんは、インタビューに、こう語りました。 ■山里亮太さん 「(自分の携帯電話の中身は)言えるものがほとんど無かったですね…。この頃って『ネットリテラシー』とか無かったから、こういうやりとりが残るという『怖さ』とか、全然知らない時期だったんでしょうね…。ちょっと、これは、(自分のガラケーを)全部、焼くかもしれないです…(笑)」 そんな中、山里さんの「心を動かす出来事」がありました。 父の「ガラケー」を再起動させた山里さん、「わっ!」という驚きの声とともに、表情がほころびました。父が母に宛てて送信した、長文のメールを見つけたのです。
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