櫻井翔、自身たっての希望が実現 黒柳徹子と対談で“戦争”の記憶尋ねる
【モデルプレス=2024/08/11】嵐の櫻井翔が、11日に放送されるテレビ朝日系『徹子の部屋 「戦争」を忘れない~櫻井翔が聞く黒柳徹子の記憶~』(午後1:55~3:20)に出演する。 【写真】櫻井翔、傷だらけで戦う ◆櫻井翔たっての希望で実現 黒柳徹子と対談 終戦からまもなく80年。時の流れとともに、その当時を知る人々は減り、戦争の体験や記憶を聞く機会は少なくなっている。今こそ、その記憶と記録を語り継ぐ必要があるのではないか――そんな使命を胸に、あるプロジェクトが密かに動き出していた。プロジェクトの推進者は櫻井。櫻井たっての希望で始まった企画がついに番組として結実。79回目の終戦記念日を間近に控えた8月11日に『徹子の部屋 「戦争」を忘れない~櫻井翔が聞く黒柳徹子の記憶~』が放送される。 番組のきっかけとなったのは、櫻井が黒柳徹子に宛てた1通の手紙だった。「徹子さんからテレビの創成期についてのお話を伺いたい。そして“戦争”の記憶についてもお伺いしたい」――そんな櫻井の思いを汲み、約1年にわたって幾度かの対談を重ねてきた黒柳と櫻井。その中で、櫻井に強烈な印象を与えたのは、黒柳が長年MCを務める『徹子の部屋』で語られてきた、数々の“戦争の記憶”だった。その“戦争の記憶”を今一度見つめ直し、語り継ぐ意味で、今回の番組が実現に至った。 同番組では、櫻井が黒柳に“戦争の記憶”を聞いていく形で番組が進行。これまでの『徹子の部屋』で語られてきた、池部良、淡谷のり子、三波春夫らの貴重な映像とともに、その“記憶”と記録を振り返る。平和を歌い続けた三波の壮絶な体験など、膨大なアーカイブを持つ『徹子の部屋』だからこその映像に、櫻井も思わず絶句…。自身も空襲を経験し、「戦争は思い出したくもない嫌な記憶」と話す黒柳が、たまらず涙を見せる映像も。 ◆櫻井翔の独自取材も公開 さらに番組では、長く“戦争”の取材を続けてきた櫻井だからこその独自取材も公開。シベリア抑留経験者である亡き祖父の体験を語り継ぐアーティストの千田、沖縄から長崎へ疎開する民間人を乗せていた対馬丸の映画を制作する寿大といった櫻井と同年代の方々の活動にもスポットを当てる。 また、櫻井が持参した「空襲の前にアメリカ軍がばらまいたビラ」には、黒柳も驚愕。「これは初めて見た」と驚きの表情を見せていた。「テレビは永遠の平和をもたらすかもしれない」――その言葉を胸に『徹子の部屋』で戦争の体験談を聞くことで、平和を手助けできるかもと思っていると話した黒柳。収録後には櫻井も、「この“辛さ”をリアルに感じ取ってもらうことが、結果として平和に繋がっていくのかなとも感じた」と、率直な感想を語った。「二度と同じことをしないためにも、過去のものにするためにも語り継ぎたいし、そういった気付きや引っ掛かりになれば」との思いも口にしている。(modelpress編集部) ◆櫻井翔コメント ― 今回の番組の企画は櫻井さんが発案し、長い時間をかけて進めてこられたと伺いました。この企画をやりたい、やろうと思ったきっかけはなんだったのですか? 昨年のお正月、NHKで『紅白70年』の特番(テレビ70年特集『生放送!紅白歌合戦お正月スペシャル』)で司会をやらせていただいたのですが、その番組で黒柳徹子さんのインタビューが流れたんです。そのインタビューを拝見したときに、「徹子さんってテレビの創成期に強い意志を持ってスタンダードを築き上げられた方なんだ」と思いました。いろんなことと時に戦いながら、自分の信念を持ってテレビを作り上げてこられた方なんだ、と。 そんな徹子さんに、テレビのお話を伺いたい、と思ったのと、それとは切り離して、自分が長年取材してきている《戦争》というものを、徹子さんご自身がどう体験されたのかも伺いたいと考えたんです。でも特に出しどころなどは決まっていなくて、放送の予定もなければ、何か本にするということも決まっていなくて…とにかく走り出してみよう、と本当に身近なスタッフとともに走り出すだけ走り出した、というのが始まりでした。 ― 「テレビの創成期」から「戦争」というものに結びつき、この番組へと至ったのは、櫻井さんの中で何か意識したことがあったんでしょうか? 最初は、「戦後の歩み=テレビ」なのではないか、という仮説みたいなものを自分の中で立てていて、並行してお話を伺っていたんですけど、伺えば伺うほど、そしていただいた資料を読むほど、この『徹子の部屋』というのはとんでもないアーカイブなんじゃないか、という思いが生まれまして…(笑)。もちろん、楽しいお話、温かいお話もたくさん詰まった番組でいらっしゃるのですが、同時に見方を変えるととんでもない証言資料が詰まっているということを知りまして、このような番組を実現させていただくことになりました。なんかもう夢のようで、想像をはるかに超える形になり、もう感無量です。 ― そんな想像をはるかに超える形で実現した今回の番組でしたが、率直に収録を終えた今、どんな思いが心に生まれていますか? やはりあれだけの名だたる方々、テレビで活躍されてきた方々が、涙ながらに《戦争》を語る姿というのはインパクトが強かったです。これまでに“情報”として文字で読んできたような話でも、やはり目の動きや言葉の強さを目の当たりにして、映像の力を感じましたし、映像は強いなと思いました。 その上で、今、心にある思いとしては…「辛い」が大きい気がします。伺っていて辛い話もどうしても多かったですし、重みもあり…。だけど、最後に徹子さんが言ってくださった「平和を伝える装置」としてのテレビであるとするならば、この「辛さ」をリアルに感じ取ってもらうことが、結果として平和というものに繋がっていくのかなとも感じました。 ― 櫻井さんと同年代、あるいは少し下の年代の方々にこの番組をこんな風に見てもらえたら、という櫻井さんの思いをお聞かせいただけますか? 僕と同じ世代だと40代、30代の方々になると思いますが、きっと「おじいちゃんの話、聞きたかったなぁ」「おばあちゃんの話、もっと聞いておけばよかったな」って思う世代だと思うんです。10代、20代で遊んでいる時期からだんだん変わっていって、昔話も聞いておけばよかった、って思い始める年代かなと思うんですよね。だからこの番組を見て、自分の本当のおじいちゃん、おばあちゃんではないかもしれないけど、「聞きたかった話があった」って思ってもらえたらいいなと思います。しかもこれを戦争資料館などで見るのではなく、テレビで届けていたんだ、ということも実感していただけたら。そしてまた、それを下の世代に伝えていくことができればうれしいなと思います。 ― このプロジェクトをこの先も続けていくことも大切になっていくと思いますが、櫻井さんの今後の展望などは? 今回、お話を伺えたお2人(寿大さん、千田さん)が奇しくも同じ学年だったのですが、同じ学年の人たちが取り組んでいることに触れられてうれしくて心強かったんです。と同時に、もっと自分でもやらなきゃという、少し恥ずかしい気持ちにもなりました。きっと、そうやって戦争の記憶を伝えている方って、まだまだいると思うので、同じ年ではなくても、同じ年代の同じ思いを持っている人たちに、もっともっとお会いしたいな、と強く感じました。 また、お二人ともお子さんがいらっしゃって、次の世代へ伝えていきたいという思いもお持ちでした。今生きている人たちにとっては、戦争というものはどうしても過去のものになってしまうし、同時に過去のものにしなくてはいけないものだとは思います、二度と同じことをしないためにも。過去のものにするためにも語り継いでいきたいし、そういった気付きや引っ掛かりになることを続けていけたらいいなと思います。 【Not Sponsored 記事】
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