生活保護を「恥ずかしい」と我慢しないで JK時代に生活保護を受けた女性が、貧困に悩む子どもたちに伝えたいこと
JK(女子高生)時代の「生活保護のリアル」をコミックエッセイにして発表した漫画家・五十嵐タネコさん(40)。生活保護を受けてから「その後」の人生までを実感を込めて語った。 【漫画】生活保護があったから救われた 「東京のど真ん中で、生活保護JKだった話」 * * * ■早く自立して家を出たい ――兄妹と両親の親子関係が悪化していた頃、五十嵐タネコさん(40)は高校入試の受験勉強の真っ最中だった。6歳上の兄は現役で国立大学に合格したものの、統合失調症を患う母に抑圧された影響で21歳のときに爆発。引きこもり生活に入り、最終的には中退した。 五十嵐 私が高校を受けるときは、お金がないから親から「私立はダメ」と言われて、滑り止め受験という選択肢はなかった。「公立1択」という緊張感もあってか、私は必死に勉強しました。でも、振り返ればあの環境で、よく進学校に合格できたなと思いますね。 6畳の居間にはコタツがあったんですけど、「リアルちゃぶ台返し」みたいなこともありました。襖には補修用の粘着テープが貼られていました。本来、兄は優しい人なんですが…母への怒りを抑えきれずに物に当たってしまうことがあって。母のヒステリーも凄いし、当時は家にいるのがしんどかったです。母に翻弄されて兄が苦しんでいるのもわかっていたけれど、私が「早く自立して家を出たい」と思った理由の一つです。 ■家からの「逃げ場」があって救われた ――そう語る五十嵐さんが、「前向きな意思」やある種の「自己肯定感」を保てた理由は、家以外に「逃げ場」があったからだ。 五十嵐 中2のときに心を許せる友だちができたんです。正直に「うちって貧乏なんだよね」と伝えても、「そうなんだ」とごく自然に受け止めてくれていた。ただ、家にお風呂がないっていう話は、さすがに恥ずかしくて打ち明けられなかったんですけど。この友人たちの存在は、大きな支えになりました。 中学生のころの私は毎日、門限の18時ギリギリまで図書館か児童センターで過ごしていました。どちらも無料で遊べる場所。友だちもみんな「お金がない」って言いながら、タダで過ごせるところで遊んでいた。そこが私にとって家からの「逃げ場」で「心の置き所」でもあったんです。