生活保護を「恥ずかしい」と我慢しないで JK時代に生活保護を受けた女性が、貧困に悩む子どもたちに伝えたいこと
――友人たちと参加したボランティア活動を通じて、旅行気分も味わえた。 五十嵐 その友だちとは、「ゴミ拾いボランティア」などに参加していました。ご褒美に500円分のマクドナルドのチケットをもらえたんですよ。みんなでマックのコーラで乾杯した。あれが、青春の味でした。 近隣の県に区の保養地があって、「キャンプボランティア」にも行きました。区の職員さんたちが引率して、中学生である私たちが子どもたちのリーダー役をする。私たち学生は3千円の参加費を払うだけで、一緒に参加した友だちとともに旅行気分が味わえちゃう。家族では一切旅行をした経験がなかったので、開放感を味わえました。 ■セーフティーネットがあったからこそ自立の道を開けた ――生活保護の受給が決まったのが、高1のとき。両親は決断を渋っていたが、五十嵐さんは「受給があと少し遅かったら、今の自分があったかどうか……」と振り返る。 五十嵐 病気で就労困難になった両親の代わりに、私が水商売のアルバイトとかもしないとならないのかな、とまで思い詰めていました。アルバイト情報誌で高収入の求人欄をずっと見ていたんです。フロアレディーとか……。 生活保護を受けられたのは本当にギリギリのタイミングだったと思います。その後、学生生活を続けられ、自立の道が開けたのは、生活保護というセーフティーネットがあったからこそだと思っています。 うちの両親も恥ずかしさから、土壇場まで我慢して支援を受けなかった。今の世の中でも、「恥ずかしい」「人に迷惑をかけたくない」と思って我慢している人が多い。生活保護を利用する資格のある人のうち、現に利用している人の割合(捕捉率)は2割程度。世界でも低い水準です。必要な支援を、必要な人が堂々と受けられる社会になってほしい。その実現こそ、私がこの漫画に託した、一番の願いかもしれません。 ――昨年書籍化したコミックエッセイ『東京のど真ん中で、生活保護JKだった話』では、貧困にまつわる生活事情が明るいエピソードを交えて描かれている。 生活保護を受けていても、1990年代のJKファッション「ルーズソックス」をはいて楽しんでいましたね。ただ、それでも300円の靴下どめは贅沢品に思えた。そこで私は代用のアイテムとして、スティックのりを活用。ちょっとかぶれるけれど、肌に直接塗ってペタペタとめてました(笑)。こういう小ネタを入れて漫画を明るいトーンにしたのは、今貧困に悩んでいる子どもたちに希望を持ってもらいたいと思ったからなんです。