生活保護を「恥ずかしい」と我慢しないで JK時代に生活保護を受けた女性が、貧困に悩む子どもたちに伝えたいこと
■「あなたは一人じゃない」というメッセージ ――通った高校は進学校で、周りがほぼ全員大学進学を希望するなか、自分だけが就職の道を選んだ。担任の先生からは奨学金での進学を勧められたが、「早く自立したい」という思いが強かった。 五十嵐 私にとって重要だったのは、とにかく早く自立して家を出ること。それに、本当に「子どものころから漫画家になりたい」としか思ってなかったから、必ずしも大学に行きたいとは思っていませんでした。民間企業より規則正しい生活ができて、休日に漫画が描ける仕事は何かなと探して、公務員を選びました。 ――通信講座で猛勉強の末、高3の9月、公務員試験に挑戦。特別区3類と国家公務員3種(当時)の両方に合格を果たす。だが「就職したら、働けない両親と兄、3人を養わなければならないのか?」という心配が頭をよぎったという。進路選択に悩む中、歩を進められたのは、キャンプのボランティアで出会った区の職員のおかげだった。 五十嵐 親以外の大人でつながりがある人に相談してみよう。そう思って真っ先に思いついたのが、子どもキャンプのボランティア活動で世話になった、区の職員さんでした。 「もしも高卒で自分が就職したら、家族が生活保護を打ち切られてしまうのか」 そんな心配を伝えると、職員さんは、こう言ってくれたのです。 「家族の生活保護が担保される、『世帯分離』(家族と生計を分けて、住民票の世帯を別にすること。自分は生活保護の対象から外れる)という方法がある」 「家を出て、自分の人生を大切にしていい。あなたにはあなた自身の未来がある」 親を養うことだけが道ではないと率直に伝えてくれた職員さんは、間違いなく私の人生を変えてくれた恩人です。おかげで私は区役所職員として4年間勤務して300万円を貯められた。その資金を元手に、念願の漫画家になるチャンスも掴んだ。親から離れて自立し、税金を納めることも「立派な社会貢献」と思えるようになりました。 ――その後、父が他界し、統合失調症の母は生活保護を受けながら高齢者施設へ入居。引きこもりだった兄も、母と物理的な距離を取ることで回復に向かい自立した。 五十嵐さんは漫画の仕事を続けながら、施設に通って母をみとった。家族の歴史を振り返るのは精神的につらさも伴ったが、1年かけて漫画のネームを描き上げた。 五十嵐 「誰かの役に立てば」という思いで筆を進めました。一口に生活保護世帯といっても、家庭ごとに貧困に至った背景が違う。私がそうだったように、生活保護を受けた経験があっても、自立し社会に貢献する道はきっとある。 今、貧困で悩む子どもさんたちにぜひお伝えしたいのは、「あなたは一人じゃない」というメッセージです。 (構成/ジャーナリスト 古川雅子)
古川雅子