俺はトップっていう意識はない。異端だよ――「世界のキタノ」が振り返る監督業、そして芸能生活 #昭和98年
裏切られたことも、裏切ったこともあるけど
“異端児”として芸能界を生き抜き、そこに渦巻く闇も、数えきれないほど目にしてきた。 「こういう世界でよくぞ今までやってこられたなと」 長い芸能人生では、裏切られたことも、裏切ったこともある、と振り返る。 「もう何十年もこの世界にいるけど、裏切り、裏切られというのは、動物のドキュメントと同じように、弱肉強食の世界だと思うんですよ。ライオンも悪いと思ってガゼルを襲うわけじゃない、腹減ってるからだよ。ガゼルも食われるときは『しょうがねえ』と思っている感じがあって。その時代に、その世界にいるということなんだから」 かつて、北野にとってのスターといえば、巨人軍の王貞治、長嶋茂雄だった。 日本人選手がメジャーリーグへ行くようになった今、たとえばイチローや大谷翔平と、王・長嶋を比べるのはナンセンスだ、と北野は言う。
「能力だけで見たらそりゃ長嶋さんよりも大谷のほうが優れているかもしれない。でも長嶋さんは今でも俺たちの世代にとって神様なんだよね。時代背景と、そこにいた人を、パッケージで考えないと、すごさがわからない、これは芸能界も同じだと思う。美空ひばりさんだって、あの時代だから輝いたのであって。だから過去の、たとえば織田信長がすごいからって現代に連れてきて、日本を采配してもらうとなったら、プーチン以上に、ポル・ポトよりもひどいことになるだろうね(笑)。だからどんな評価も、その時代と一緒に考えないといけない、と俺は思ってるわけ」 大手事務所が解体され、伝統的な芸能団体の問題が露呈するなど、今年は、芸能界の構造が揺らぐような出来事が次々と起こった。 「今、芸能界は大きく動いている。それは当然、起こるべくして、起こった。だから、そういう時代が来ているんだと思う」
本当は、監督一本でやりたかった
映画監督としての最新作『首』は、歴史ロマンから「きれいごと」を徹底的に排除したバイオレンスアクションムービーだ。本能寺の変を中心に、「大河ドラマなんかでは描かれることのない、戦国時代のドロドロとした男同士の関係、裏切りを描きたかった」。俳優“ビートたけし”は、顛末の鍵を握る羽柴秀吉を演じている。 「個人的には、柴田勝家とか、ああいうのが好き。今回の映画には出てこないけどね。織田信長は、安土城の下に天皇のための屋敷をつくって上に立とうとしたり、寺を焼き払ったり……まあ痛い人、というかやり過ぎ、あんまり好きじゃない。合理主義者だとは思うけど、ちょっと飛んじゃってる感じがある。で、明智光秀も、何かインチキくさいじゃない? いろんなところに顔出して。そうすると、好きじゃないけど、秀吉になっちゃう。百姓に生まれて、天下取りに、いろんなことをしてのぼりつめた。そこを認めるっていうかね。昔から、タレントを戦国武将になぞらえたような本がよくあって、信長がぼんちおさむちゃんとか、(島田)紳助が明智光秀とか(笑)。で、俺がたいてい秀吉なんだよね。イメージ的にも、やりやすいのは秀吉だな、というのはあったし、監督を同時にやるにあたっては、ちょうどいいかなと」 監督と俳優を兼ねる難しさは、どんなところにあるのだろう。 「俺、秀吉の出てないとこは、結構ちゃんと見てるんだけど、自分のとこは、かなり適当。いっか、こんなもんで、って。でもストーリー的には必要だから、残してるけど。別に監督がいたら、もちろん芝居を一生懸命やる。でも監督やっちゃうとね。秀吉の格好でカメラのぞいたりなんかしてると、なんだかわかんなくなっちゃう」 「本当は、監督一本でやりたかった」と苦笑した。