樋口恵子「5月で92歳に。いやはや、こんなに長く生きるとは。園遊会で天皇陛下との一期一会をふと思い出して」
◆園遊会の思い出、天皇陛下との一期一会 年が明けてしばらくしてから、ふっと、忘れていた記憶が蘇りました。正確な年月日は記憶にありませんが、平成時代のある日、地方分権推進委員会の一員ということで、赤坂御用地で行われる園遊会に声をかけていただいたことがあったのです。 「ほぉ、この私が」とビックリしましたが、せっかくの機会なので出かけることに。当日は天皇陛下が歩かれる「お道筋」が決まっています。私は宮内庁の職員から、このあたりにいるようにと言われた場所で、陛下が通られるのを待っていました。 やがて陛下が、侍従とともに私の前に来られました。上品なお顔立ちの侍従が、「陛下、こちらが樋口恵子さんでございます」と私のことを紹介してくれましたので、反射的に「お目にかかれて光栄でございます」と最敬礼。すると陛下は、「樋口さん、一つ質問があります」とおっしゃいました。 「浅学、非学。なにもわかりませんが、どうぞご遠慮なくおっしゃってください」。そう申し上げると、「地方分権制度というのは、日本の政治形態にとって、どういう影響を与えると思いますか」。 キャッ、すごく難しい質問! 一瞬、答えにつまりそうになりました。 じつは当時、沖縄の問題がクローズアップされていた時期でもありました。95年に米兵による少女暴行事件が起こり、沖縄県民が怒りの集会を開き、日米地位協定に異議を申し立てるなど、大きなうねりが起きていたのです。そういった動きも、たぶん陛下はご存じでしょう。どうしたものか、ちょっと考えてから、私はこんなふうにお答えしました。 「陛下が地方分権についてお心に留めてくださることを、国民としてありがたく存じ上げます。私は基本的に、地方分権が進むことは、日本の民主主義が地域ごとにより深化し、自立性を高めることになると考えております。そういう意味で、大変有意義なことと存じております」 「そうですか。ありがとう」 そこでやめておけば奥ゆかしいのに、つい調子に乗ってしまうヒグチさん。「これからも地方分権、介護保険、男女同権のために国民として尽くさせていただきます」。「ケン」を3回、韻を踏んで、内心、「うふふっ」と得意になっていました。
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