「彼氏が欲しくて死にそう」な20代後半から「家庭内男女平等」を獲得するまで。作家・山内マリコが考えるパートナーシップの形
作家の山内マリコさんが2013年に現在のパートナーと交際を始め、同棲、結婚とステップを踏む中でどのように「家庭内男女平等」を獲得していったのか――。その様子を描いたエッセイ、『結婚とわたし』が、2024年2月にちくま文庫として発売されました。「彼氏が欲しくて死にそうだ」と焦ってパートナーを探しはじめた当時の心情、結婚に踏み切った経緯、フェミニストである山内さんにとってのパートナーシップのあり方、などについて伺いました。 【写真】山内マリコさんが回答!「結婚」にまつわるモヤモヤ悩み
■20代最後の年に、内側からあふれ出た“雑音” ──エッセイ『結婚とわたし』は、「彼氏が欲しくて死にそうだ」という内なる声や、20代最後の年への焦りから始まります。当時の焦りや渇望感は、いったいどこから生まれたものだったのでしょうか。 山内さん: 知らず知らずのうちに、社会からの“結婚プレッシャー”みたいなものを内面化していたんだと思います。それまでは遮断できていたはずの雑音が、自分の中からブワーッと濁流みたいにあふれ出てきた感じでした。 そもそもは、自分は「結婚したがる女の子」ではなく、結婚願望というものを持ったことがなかったんです。10代の頃からサブカル至上主義で…人とはちょっと違うところで価値観を確立させたいと思っていました。20代はずっと、自分の好きなことを、どう自己実現につなげるかしか考えていませんでした。 ところが20代も後半になると、若さという“価値”が下がっていく感覚があって、どんどん自信や勢いをなくして、弱っていきました。小説家になりたいという夢を追いかけているだけで、社会的立場はゼロでしたし。そういう状況も、結婚すれば解決される気がして、結婚に逃げ込みたい心境に流れていったわけです。それで、まずは彼氏をつくらなければと、身も蓋もなく焦るようになりました。 ──年齢によって価値が下がることなんてないはずなのに、30代を目前にした途端、パンドラの箱を開けたかのように、年齢や結婚、出産にまつわる悩みが溢れ出してきてしまうケースは身近でもよく見聞きします。 山内さん: 例えば、“29歳までに結婚したい”とか、“子どもを産むなら35歳までに”みたいな、年齢で区切った、脅しみたいな言い回しがありますよね。そういうクリシェというか紋切り型の言葉が耳から入り続けるうちに、それを“一般常識”として吸収してしまい、その考え方がいつの間にか自分の中に棲みついてしまっていて。 私の場合、20代前半まではそういった考え方を、「愚かだな」と高みの見物で否定していたけれど、それは若さが強さになっていたから。20代最後の年になると自分が弱体化してきて、大慌てで世間一般の価値基準に迎合しようと、一気に焦りが爆発した感じでした。 ──もともと「自分は結婚したがるような女の子じゃない」と考えていた山内さんにとって、当時のご自身の心境の変化に、戸惑いを感じることもあったのではないでしょうか? 山内さん: 完全にパニック状態でしたね。なぜ自分がこんなふうになっているのか分析しきれなくて。その頃、よく昔の日本映画を観ていて、そこからなにかを学び取ろうとしていました。昭和30 年代の女性には人生の選択肢がほぼ結婚しかないので、結婚をテーマにした作品が多いんです。 例えば『婚期』という映画の、結婚についてのセリフが秀逸でした。家事労働の面でも、セックスの面でも、それを職業にしていたらお金がもらえるけど、結婚していたら何をやっても無給であると指摘したうえで、「基本的人権からいったってそんな踏みつけた話ってないでしょう」と言う。ノートに書き留めて、「ほんとだよなぁ」と考えました。 「結婚したい!」という内圧に振り回されながら、しかし「結婚って何なんだろう?」と猜疑心もいっぱいで。悶々と考える中でたどり着いたのが、フェミニズムの本。読むことで「女性」であることの意味を初めて理解できていきました。 ■フェミニズムと出会い、見えてきた世の中の仕組み ──本の冒頭には、「このエッセイを書いていた当時、私は三十代中盤。ライフステージが変化する真っ只中にあり、『女性』であることの当事者性が高まる年齢・立場を生きていました」という一文もありました。 山内さん: そもそも、自分が差別される側だとまったく気づいていませんでした。家庭でも学校でも、女性であることがマイナスになると感じたことはなくて。だけどそれって、若いうちは女性差別を免除されていただけなんですね。自分が「普通」だと思っていたのは、期間限定の自由だった。 2010年に刊行された上野千鶴子さんの『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(紀伊國屋書店)を読んで、完全にフェミニズムのチャクラが開きました(笑)。不可解だった世の中の仕組みがよくわかったし、それまで視力0.1くらいのぼんやりした状態から、いきなり視力5.0になった感じでした。そのくらいインパクトのある読書体験だったし、そこからすべてが変わった気がします。 先日、ようやく上野さんに直接お目にかかる機会があって、その話をしたら「じゃあ、あなたは20代後半になるまで幸せだったのね」と言われました。女性は幸せだったらフェミニズムのことなんて一切気にしないし、考えもしない。不幸になって初めて、「この不幸の原因は何だろう?」と考え、気づくものだと。さすがのお言葉でした。 ──不幸になって初めて気づく…切ないけれどその通りですね。フェミニズムに開眼する直前の29歳から交際を始めたパートナーについて、ご著書の中では「基本的になにもしない」「そのわりに口は挟んでくる」「感謝の言葉が足りない」と記されています。それでも交際を続けられたのはなぜでしょうか。 山内さん: 彼氏のいない枯渇状態が3年続いたあと、欲しい欲しいと神仏に祈った果てにできた彼氏なので、貴重だったんです(笑)。じゃなかったら3日でお別れしていたなというくらい、ペースが違う人でした。“のんき大将”と呼びたくなるほどのんきで…。せっかちな私はやきもきイライラしてしまい、「もっと合う人いないかな~」と考えることも。 でも、ここで別れてまた彼氏がいない人生に戻るのはつらすぎる、などなど、いろんな邪念に押しとどめられて、初期の危機を乗り越えました。 ──当時はかなり追い詰められていたのですね…。 山内さん: それはもう。20代前半までの恋愛は、自分からアプローチして、別れたくなったら切り出してと、全部の主導権を自分が握っている感覚でした。だけどアラサーになり、“結婚”をゴールに見据えた交際になった途端、立場が逆転して主導権を失い、受け身になってしまう。 なので、ちょっと「合わない」と思うことがあっても、こちらから別れを切り出すことはせず、粘るようになりました。意見の衝突やケンカを億劫がらず、真正面からぶつかって、わだかまりを解消させる。「この人と仲良くするしかない」という基本スタンスは、のちのち吉と出ることになります。