「人道の歴史」を次世代へ ポーランド孤児救済から100年 敦賀港上陸からの足跡をたどる子孫の旅に密着【福井発】
第一次大戦後、シベリアに取り残されたポーランド孤児を日本が救出し、約100年がたった。自分の親や祖父母の足跡をたどろうと、日本へとやってきたポーランド孤児の子孫たちに密着取材した。 【画像】「福田会」に現存する当時孤児たちが写真を撮った坂
かつて助けられたことへ 子孫が感謝
5月31日、東京にある社会福祉法人「福田会」で、ポーランド孤児受け入れから100年がたったことを記念する式典が行われ、高円宮妃久子さまがご臨席された。 式典後、久子さまに何かを手渡したポーランド人家族がいた。ポーランド孤児の子孫、エヴァ・ヴォイトゥケレヴィチさんと孫のアレクサンドラ・レナルドさんだ。 「ポーランド孤児の子孫からの感謝のプレートをお渡ししました」とエヴァさんが教えてくれた。手渡した手作りのプレートには、自分たちの先祖が、かつて日本に助けられたことへの感謝の気持ちがつづられていた。 久子さまは「thank you」とやわらかな表情で受け取り、アレクサンドラさんらに手を差し出された。 エヴァさんは「皇室の方に感謝の気持ちを表したかったので、直接お目にかかることができてとても光栄に思っています」と目を輝かせ、孫のアレクサンドラさんも「ちょっとドキドキしたけどすごく幸せでした」と話した。
救助された孤児ら 日本滞在の記憶
エヴァさんの父・ヴァツワフさんは、約100年前にシベリアで救助され、日本に避難してきたポーランド孤児の1人だった。 当時、シベリアには約20万人のポーランド人が生活していたが、1917年に起きたロシア革命の影響で、多くの子どもが親を失い、孤児となった。その救済に名乗りを上げたのが、100年前の日本だったのだ。 「ポーランド孤児救済事業」と呼ばれるこの出来事は、日本赤十字社にとって初めての難民支援活動で、3年間で763人の子どもたちがシベリアから救出され、日本を経由して祖国ポーランドへと送り届けられた。 ヴァツワフさんが、日本から帰国して75年後の2000年に撮影されたインタビュー映像がある。 元ポーランド孤児のヴァツワフ・ダニレヴィッチさん: 港の名前は敦賀でした。日本のことは想像したこともなかったですが、日本に到着して着物を着ると、とてもうれしくなりました。 ヴァツワフさんは福井・敦賀港から日本に上陸し、大阪の収容施設で静養。そこで算数や日本の歌を教わったといい、帰国から半世紀以上がたった当時も、童謡「うさぎとかめ」を口ずさんでいた。 孤児たちが日本に滞在したのは数週間から半年と短い期間だったが、彼らの心には日本での記憶が深く刻まれ、帰国後も忘れることはなかったのだ。