「人道の歴史」を次世代へ ポーランド孤児救済から100年 敦賀港上陸からの足跡をたどる子孫の旅に密着【福井発】
「天国だ」たどり着いた安全な場所
孤児救済事業が終了してから100年。2024年5月末、エヴァさんたちポーランド孤児の子孫38人が日本を訪れ、自分たちの先祖の足跡をたどった。 孤児たちが上陸した敦賀湾では、靴を脱いで海に入ったり砂を集めたりと、先祖から聞いた記憶を追体験していた。 祖父がポーランド孤児のパヴェラ・ハワブルジンさんは、「敦賀は祖父にとって初めてたどり着いた安全な場所でした。敦賀のこの土は未来への希望の土なので、祖父の眠る場所に持って帰りたいです」と話した。エヴァさんも「ここに父がいたと思うと感動して泣きそうです。父はシベリアで育ち、初めて敦賀にやってきた時に「天国だと思った」と言っていました」と目を潤ませた。 子孫たちは福井の他にも東京や大阪などを訪れ、先祖であるポーランド孤児が立ち寄った施設や団体に、感謝の気持ちを伝えて回った。そのうちの1カ所が、久子様と面会した「福田会」だったのだ。 福田会は100年前にポーランド孤児が静養した施設で、当時孤児たちが写真を撮った坂が現存していることから“救済事業のシンボル”的な存在となっている。 母がポーランド孤児のクリスティナ・リテルさんは「自分たちの先祖が立っていた場所で写真を撮りました。とても感動的で…うまく言葉にできません」と話していた。 福田会では4年前から、世界各地に散らばった子孫を人づてに探し出し、足跡をたどる今回のような旅を企画している。実際に先祖が訪れた場所を見てもらうことで、ポーランド孤児救済の歴史を、未来に伝えてもらえればとの思いからだ。 福田会・太田孝昭理事長は、「誰かが語り継がないと風化してしまう。小さいことだがやり続けることが、福田会の役割だし仕事だと思う」と活動への思いを語った。
孤児たちが見た最後の風景を目に
旅の終盤に一行が訪れたのは、孤児たちが祖国へと旅立った場所の1つ、兵庫県の神戸港だ。 ガイドが「神戸港から子どもたちが船に乗り込む写真が残されていますが、ここで撮られたもので、これが子どもたちの見た最後の日本の風景です」と説明すると、子孫たちはこの1週間の旅について語り合いながら、自分たちの先祖と同様、日本の風景を目に焼き付けていた。 祖父がポーランド孤児のウルシュラ・マレフスカさんは「私たちの先祖が訪れた場所に来ることができて、とても感動しました」と話し、父がポーランド孤児のアンナ・ドマラツカさんも「すごく感傷的な気持ちです。ポーランド孤児がどういう気持ちでこの地を踏んだのかと思いをはせました」と感慨深げだった。 100年前に日本で行われた人道の歴史を、これからは彼らが次の100年へと語り継いでくれることだろう。 (福井テレビ)
福井テレビ