「キーウ市内でマツダ車見かけた」ウクライナからの投稿に急展開「なぜ弊社の30年前の営業車が…」理由は
色あせたロゴで確信
平野さんの投稿を見かけた人が「大市珍味」のアカウント名を引用し、「ウクライナに支店があるんですか?」と問いかけたことから、大市珍味の「中の人」で、4代目社長の西野美穂さんはSNSで話題になっていることに気づきました。 「あら、すごい!」確信したのは、今も変わらない会社のロゴでした。ちょっと色あせているけれど、紛れもなく「うちの車」。社内は騒然としました。「なぜウクライナに…」 西野さんが入社した25年前には営業の車は全てマツダの「デミオ」だったため、その外見からはピンと来ませんでした。 声を上げたのは楢崎真治会長でした。「この型、あったなー。もしかしたら、俺が入社当時、営業で乗っていたやつかも」 会長の同期たちも「乗ってた、乗ってた」と同調。そのことから、30~40年前に使われていた営業車だと分かりました。 営業車はリースのため、契約期間を終えて、リース会社に戻したと言います。その後、ウクライナ方面に渡ったと推測されます。
「30年も前の会社がまだあるのか!」
キーウ市に住む平野さんは、ウクライナ語でも今回の車についてSNSに投稿しました。すると、ウクライナの方々から、「ナンバーが南部オデーサ州のもの(BH)。昔、日本から船でオデーサ州の港に中古車がよく運ばれていたので、その頃輸入されたものだろう」と教えてもらったそうです。 平野さんが「この車は日本に実在する会社の、30年前の車だった」とウクライナ語で報告したところ、「30年も前にあった会社がまだあるのか! すばらしい!」と驚かれたそうです。 30年前と言えば、ウクライナではソ連から独立を宣言し、ソ連が崩壊したすぐ後のころです。
「あなたもそっちで、がんばってね」
「30年前の営業車」を通じて、思わぬ形でウクライナにつながった大市珍味。 西野さんは「まだ現役で走っていることに感動しました」。ウクライナというと、ニュースを通じて知る「戦争をしている国」の印象が強く、その日常は「想像もつかない」と言います。ただ、不思議な縁を感じていました。 話題になったタイミングは、能登半島地震の被災地へ冷凍弁当の支援を始めたところでした。SNSで「猛暑の避難所では弁当がすぐ傷んでしまうため、被災者たちの食事がレトルトやインスタント食品ばかりに偏ってしまう」という状況を知り、支援を申し出たのでした。 世間では五輪ムードの今も、戦争や自然災害などで心落ち着かない生活を送っている人たちがいるーー。2カ所の状況を重ねて、西野さんは「食品に携わる者としては、少しでも早く、おいしいものを食べて、心穏やかに過ごせることを願っています」と話します。 7月には、石川県珠洲市の避難所に50食を2回を送り、8月には輪島にも送る予定です。 「ウクライナのマツダ車」の投稿が話題になった影響で、この支援も多くの人の目にとまり、売り上げの一部を被災地支援に回す「支援パック」が多く購入されたそうです。 西野さんはウクライナの状況に心を寄せながら、「会社の近くに、日本に避難している人たちがやっているウクライナ料理屋さんがあるので、よく食べに行っていました。そこに通い続けることが、私に今できることなのかなと思います」と話します。 ウクライナで走るかつての営業車には、こう言葉をかけたいと言います。「まだ会社もこうやってがんばってるから。どうかあなたもそっちで、がんばってね」