「最期まで死を受け入れられなかった」弟を膵臓がんで亡くした姉の"がん外科医"が絶望のどん底で気づいた使命
■多くの患者を救うために手術から器具の開発へ 「弟は最期の瞬間まで死を受け入れることができず、新しい治療法を待ち望んで亡くなりました。その姿を目の当たりにし、こういう患者のために研究や開発があるのだと心の底から思いました。それまでの私は、臨床で手術をすることにこだわってきました。でも、外科医としてできることはそれだけではない。私は手術器具のことを細々ながらやってきた。開発のチャンスがあるならば、そこに挑戦することが、より社会全体の役に立つのではないか」 その後、河野さんは臨床を離れて大学に飛び込む決断をする。それが多くの患者を救うことにもつながると信じて。 「今、日本の外科医の世界は大きな危機に直面しています。病院に勤務している外科医の数は04年には約1万8000人でしたが、20年には1万1000人を下回るほどに減っています。平均年齢も50歳を超えていることから、新たな外科医のなり手が減っていることは明らかです。その一方で、30歳未満の女性外科医の割合は約20%の時代となりました。これからの時代、女性の力なくして外科は成り立っていきません」 19年、大阪医科薬科大学に移籍。機器の研究、開発にまい進した。さらに、18年から取り掛かっていた「外科医師の男女差に関する論文」にも本格的に取り組んだ。手術症例データベース「National Clinical Database(NCD)」のビッグデータを解析し、これまで見えなかった「執刀数の男女格差」を明らかにしたうえで、「手術の難易度が高くなるほど男性医師が配置される傾向にあること」「手術の短期成績に執刀医の男女による差はないこと」などを客観的に証明したのだ。 この論文は、医学系の5大雑誌である「JAMA Surgery」と「BMJ」に掲載された。世界が評価したのだ。 さまざまな偏見や誤解が要因となっていた消化器外科の世界における男女格差。その「ゆがみ」を正すことが女性医師の権利の回復のみならず日本の医学界を救う道なのだ。冒頭の「函館宣言」は、河野さんが描いた姿に現場が近づいた証しだ。 AEGIS-Womenの会長として、若手の育成にも力を入れている。女性外科医向けの1泊2日のセミナーはすぐに満席になりリピーターも多い。 「セミナーでは、最高の手術手技を学んでほしいので最強の講師陣を呼んでいます」 河野さんは、最後にこう語る。 「子供をもった後、私はさまざまな挫折や理不尽を経験してきました。それでも、外科医として患者に全力で向き合い、ライフワークは女性目線での仕事を貫いてきました。人は評価しないかもしれませんが、自分の信念を曲げず、仕事にプライドをもって一生懸命取り組んできました。子供は高校3年生になりました。現在も外科医としてさらなる高みを目指し挑戦し続けている、それだけで私は十分に幸せです」 ---------- 経歴 2001年 宮崎医科大学(現宮崎大学)医学部卒業 2008年 日本外科学会定期学術集会にて「子育て外科医は継続可能か?」を発表後、女性医師の活動を開始 2011年「外科医の手プロジェクト」発足 2012年 大阪厚生年金病院賞(学術部門)受賞 2015年 2人の女性外科医とAEGIS-Women設立。京都大学外科交流センター学術賞受賞 2020年 内閣府男女共同参画局「女性のチャレンジ賞」受賞(個人) 2022年 パブリックリソース財団主催女性リーダー支援基金。「一粒の麦」受賞 2023年 日本消化器外科学会総会において「函館宣言」 2024年 内閣府男女共同参画局「女性のチャレンジ支援賞」受賞(AEGIS-Women) ----------
プレジデントFamily編集部 文=金子聡一 撮影=梅田佳澄