鈴木おさむ「SMAP 5人旅、震災後10日のスマスマ生放送…長年のライバルであり、一番褒めてほしい人たちを失い、僕は引退を決めた」
◆『27時間テレビ』の企画で福島へ また、その年の夏には『27時間テレビ』の企画で、木村拓哉・稲垣吾郎チームが被災地の岩手に、草剛・香取慎吾チームが福島県を訪れています。現地で出張料理をふるまい、被災した方々を励ますためです。 僕と番組スタッフは、企画に先駆けて震災から2カ月後の福島を訪ねていました。その際地元の方から「震災後、いろいろな芸能人が岩手や宮城に行ったが、福島には来ない。唯一来てくれたのは八代亜紀さんだけだ」と言われていたのです。 それを聞いたSMAPのマネージャーは「絶対に行かせよう!」と即決。7月23日の本番では、彼らが大量の料理を作り、現地の方々にふるまう様子が放送されました。皆さん本当に喜んでくれて、会場となった体育館は笑顔でいっぱいに。『27時間テレビ』の料理企画は大成功に終わりました。 リーダーはその後もプライベートで頻繁に被災地を訪れ、僕自身も何度かお米券を配って歩きました。毎年3月11日になると、今も被災地の方から「その節はありがとうございました」というお礼のメッセージが届きます。きっとSMAPのメンバーは僕の何万倍も感謝されたでしょうし、つらい思いをされた方々の光になったことと思います。
◆自分の心臓がなくなったような空虚な気持ちに 20年以上続いた『スマスマ』は、2016年12月26日に終了。SMAPも解散となりました。 気持ちの整理もつかぬまま、2017年の1月には僕が脚本を担当したドラマ『奪い愛、冬』がスタート。このドラマが話題になったことが自信になり、「俺は俺で頑張っていこう」と自分なりに気持ちのスイッチを入れ直していました。 ところが時間がたつにつれて、「やっぱりちょっと違うな」と思うようになってきて……。 僕にとってSMAPは、長年のライバルであり、一番褒めてほしい人たちでした。彼らも彼らのまわりにいる人もすごい人たちばかりで、「俺だってヒットを出せるんだよ、褒めてくれよ!」と、常に彼らを意識しながら頑張ってきたのです。 でもSMAPがいなくなって反射鏡が消えたと言いますか、自分の心臓がなくなったような、とてつもない空虚さを感じるようになってしまったんですね。それは時間がたっても消えることはなく、仕事をしていても以前のように120%の力を出すことができなくなっていました。 ふと気づけば僕も51歳。何かを始めるなら今しかありません。考えたあげく抱えているすべての仕事を終わらせ、引退することを決めました。