オコチャ、カヌ、ババヤロ…“スーパーイーグルス”は天高く舞っていた。国民が血を流す裏側での悲痛な戦い
ブラジル、アルゼンチンを撃破。オリンピックでの戦い
1996年、国の社会不安とサッカーへの期待のはざまで、ナイジェリア代表はオリンピックでの戦いを開始した。 グループリーグは派手ではないが効率よく迅速に通過した。準々決勝ではホルヘ・カンポスを擁するメキシコと対戦。前半にオコチャの才気あふれるシュートが炸裂し、試合終了間際にはババヤロがゴールを決め、北アメリカの代表チームに対して落ち着いた勝利を収めた。もっとも、過去に名を馳せた偉大なアフリカ代表チーム(88年のザンビア、90年のカメルーン、94年のナイジェリア自身)を定義する形容詞を探した時に、「落ち着いた」は選択肢に入らない。しかし96年のナイジェリアは十分成熟し、どのような試合状況にも適応できた。 ブラジルとの準決勝は一大スペクタクルだった。“カナリア軍団”は2年前のワールドカップ優勝時よりもさらに強力なチームだった。ナイジェリアとブラジルはグループリーグでも対戦したが、その時の試合は、当時サッカー界の期待の新星だったロナウドのゴールのおかげでブラジルが勝利した。しかしメダル獲得まであと一歩の準決勝では、まさに真剣勝負の様相を呈した。 前半戦終了時のスコアは1-3で、ブラジル人は歓喜し、スタンフォード・スタジアムのスタンドを埋める7万8千人の観衆の大半は悲嘆にくれていた。中立の観客の多くがナイジェリアの応援に回ったのだ。物語にドラマ性を加えるために言っておくと、オコチャは点差を縮めるチャンスだったPKを失敗した。どんなチームもこのような痛手の後には落ち込むものだが、ヴィクトル・イクペバが2点目を入れたおかげで乗り越えた。 そして試合終了間際、“スーパーイーグルス”はコーナー付近でスローインの権利を得た。その日は自分が主役ではないとわかっていたオコチャは両手でボールをつかんでミサイルのように投げる。ボールはゴールエリア近くに着地。その時まさに魔法のようなことが起きた。2回蹴られ損ねたボールは、ゴールに背を向けてゴールエリア内にいたカヌの足元へと転がってきたのだ。背後ではブラジルのゴールキーパーであるジーダがカヌのうなじに荒い息をはいている。その時、不可能に近い状況を打開するための1、2秒をカヌにプレゼントしようと時間が止まったかのようだ。このナイジェリア代表のストライカーは、ボール目がけて滑り込んでくるジーダの上を越すように足の甲でボールを軽くリフトすると、体を反転させながらゴールマウスへとシュートを決めた。 重大な局面に、ひらめきの女神が創造した作品のようだ。3-3の同点。カヌは満面の笑みで両腕を後ろに広げて走りながら、喜びを体全体で表した。しかしこれだけで終わらない。今夜のヒーローが再度ゴールを決めて試合を勝利で締めくくった。盛大なお祭り騒ぎだ。決勝戦に駒を進め、オリンピックのメダル獲得は確定だ。 栄光までまだあと一段ある。決勝戦の相手は、南米のもうひとつの怪物アルゼンチンだ。クレスポのセンタリングから、“ピオホ(シラミを意味するクラウディオ・ロペスの異名)”ことロペスのヘディングシュートにより“アルビセレステ(白色と水色を意味するアルゼンチン代表の愛称)”が先制。しかしナイジェリアはびくともしない。アルゼンチンは攻め続けたが、絶好の瞬間にまたもやアフリカサッカーの魔法が現れた。カヌの右クロスからババヤロが値千金のヘディングゴールでカバジェロの守るゴールを撃ち抜き、前半のうちにアルゼンチンに追いついた。しかし後半になってクレスポにPKを決められて、再びリードを許してしまうが、それも束の間、誰もが予感していた通り、しばらくしてアモカチが同点のシュートを放つ。 1993年のU-17世界選手権でまかれた種が最高の輝きを放ちながら花開いていた。最終的に試合は3-2でナイジェリアが勝利。選手の首にかけられた金メダルは世界じゅうで称賛を浴びた。しかし、これまで何度も起きてきたように、外部要因がこの国のサッカーの行方に直接インパクトを与えることになる。