15歳オカダ・カズチカの”泣き”に、「いつでも帰って来なさい」と言っていた母が返した言葉
プロレスラーには限界から先の姿を見せていく使命がある――。新日本プロレスのスター選手として活躍後、アメリカのプロレス団体「AEW」でも躍進を続ける“レインメーカー”オカダ・カズチカが、その人生の極意を語る。『「リング」に立つための基本作法』より一部を抜粋してお届けします。
きついトレーニングに耐えきれず送った母へのメール
〈闘龍門をやめて、安城へ帰ろうと思う〉 15歳で闘龍門に入門して一ヵ月も経たっていないころ、母親にメールを打った。トレーニングがきつすぎて、これ以上は続けられない、もう限界だと感じていたのだ。プロレスラーになることをあきらめようと本気で思っていた。 スクワットや腕立て伏せ、どれもきつくて、どれも同期生たちのようにできなかった。僕ができないと、連帯責任で仲間たちに迷惑をかけることがなによりもつらかった。 練習中は水が飲めない。それも苦しかった。 トレーニングとトレーニングのインターバルに、トイレに行くことは許されていた。トイレの便器のなかには水がある。水面がゆらゆら揺れている。それを飲んじゃおうかとまで思った。 「つらかったら、いつでも帰っていらっしゃい」 神戸にある闘龍門に入るために安城の家を出るとき、母親に言われていた。だから、受け入れてもらえるだろう、と安易(あんい)に考えていた。 ところが、母親の反応は僕の期待とは違っていた。 〈もう少し頑張りなさい〉 レスポンスが来た。がっかりした。 〈えー! 話が違うじゃない!〉 そうメールをしたかったけれど、懸命に我慢した。 とにかくもう少し頑張ろう、と決めた。 なぜならプロレスラーになる道をあきらめたら、僕にできることはなにもない。今さら高校へも行かれない。中学時代の友だちの後輩になってしまう。そもそもプロレスのほかに、やりたいことなどなかった。 子どものころの僕は足は速かった。でもマット運動だけは苦手だった。せいぜい前転、後転まで。開脚前転はできなかった。もたもたしている僕を横目に、友だちはヘッドスプリングやネックスプリングをやっていた。どうしても僕はみんなにマット運動で勝てなかった。 では、なぜプロレスラーになろうと思ったのか──。 笑われるかもしれないが、ある夜、僕は夢を見たのだ。 夢のなかで、僕はプロレスのリングのなかにいた。闘おうとしていた。相手は屈強なレスラー。そして……勝ってしまった。 試合のプロセスは覚えていない。どんな技で勝ったのかも覚えていない。それなのに、勝ってレフェリーに握られた手を上げているシーンは鮮明に記憶している。 目覚めた僕はプロレスラーになると決めたのだ。