15歳オカダ・カズチカの”泣き”に、「いつでも帰って来なさい」と言っていた母が返した言葉
揺らぎそうなときは退路を断(た)て
単純な僕は、その日からもくもくとスクワットを始めた。やり方はわからなかったので、なんとなく想像で、膝の屈伸運動を続けた。 筋トレが必要だろうと思い、ジムにも入会。近所のジムは15歳では会員になれない。安城市の体育館も利用できない。そこで兄の名前を借りてなりすました。 学校の授業中は居眠りかプロレスのマスクをつくっていた。でも、テストでいい成績だったらプロレスのビデオを買ってくれる、と母親が約束してくれたので頑張った。結果、いい成績で、ビデオを買ってもらった。通知表もよかった。 そんな僕を両親は闘龍門に送り出してくれた。初期費用は、入学金と半年分の学費で72万円だったと思う。 プロレスをやめたら、その後生きていくためにどんな仕事をするのか、なにも思いつかなかった。だから母親に「帰ってくるな」と言われたら、闘龍門の寮と道場のほかに、いる場所はない。 僕には退路はなかった。安城へ帰る選択などできなかったのだ。そのことを母親からのメールで再認識した。 やめる人とやめない人、どこが違ったのか──。 今思うと、根性や忍耐力よりも、まずプロレスが心底、ほんとうに好きなのか、そうでないかの違いだったのではないか。そしてもう一つ、プロレスのほかに人生の選択肢があるかないかの違いだった気がする。 やりたいことがあるなら、自分の目標が明確ならば、そしてその大切な目標へ向かう気持ちが揺らぐのを避けるには、退路を断つべきだ。 ちなみに苦手だったマット運動は、闘龍門の練習生だったときはなんとかできるという感じだったが、メキシコに行ってから、どうやったら自分の思うように身体を動かせるかを教えてもらった。それは今にすごく活(い)きている。
TEXT=オカダ・カズチカ