「合計身長369cm」の大型ユニットが10億円を被災地に寄付…「型破りな男」が生んだ「35年忘れられないフレーズ」
「あの男」に似ていた
とは言え、1984年のデビュー当時、実は、あまりいい印象を抱いてはいませんでした。なぜならば「型破り」ではなく「型通り」に見えたのですから。そう、佐野元春の「型通り」。 当時、佐野元春に入れ込んでいた高3の私にとって、吉川晃司は佐野元春の「型」にはまってデビューした人という印象でした。 吉川晃司自身が佐野元春を敬愛していたということも背景にあったのでしょう。1984年2月1日に発売されたデビュー曲『モニカ』は、吉川晃司の歌い方以前に、作詞:三浦徳子、作曲:NOBODYによる曲そのものが、明らかに佐野元春を意識して作られていました。 でも、例えば佐野元春の曲に比べて、何というか、符割りがこなれていないのです。例えば歌い出しの、 ――♪真夜中のスコール Backミラーふいにのぞけば この「♪Backミラーふいに」のところに、どこか無理やり感が漂う。続く「♪赤い電話Boxの中から」も同じく。 私の言いたいニュアンスは、佐野元春『アンジェリーナ』の同じく歌い出し、ビートの上で弾けながらすーっと流れていくような「♪シャンデリアの街で眠れずに」と聴き比べれば、分かっていただけると思います。
伝説の「紅白ギター放火事件」
しかし吉川晃司は、そんな私の気持ちとは裏腹に大ブレイク。チェッカーズとともに翌1985年には時代の寵児となり、女の子の嬌声を一身に浴びることになります。 そして『にくまれそうなNEWフェイス』(85年)でNHK紅白歌合戦に出場。その紅白で起きたのが有名な「ギター放火事件」です。 ただこの「事件」、今や一部で伝説的に語られているようですが、実は、そんなかっこいいものではなく、いや、どちらかと言えば、ちょっと間抜けな部分もあったりして。 というのは、その放火の瞬間をカメラが追っていなかった(か避けた)ので、テレビを見ている人には、何が起きたのか、さっぱり分からなかったのです。映っているのは、次に歌う河合奈保子が驚いている姿だけという、何とも意味不明なことに。 当の吉川晃司本人も、自著『愚 日本一心』(角川マガジンズ)でこう語っています。 ――ギターもあそこまで燃やすつもりはなくて、ジミ・ヘンドリックスをマネして、(註:火を)軽く付けてみようかと思ったら、照明が当たっていて火が見えなくて、自分でも火傷して、訳がわからなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出た。 日本中が注目していた昭和の紅白の舞台で(平均世帯視聴率66.0%/ビデオリサーチ,関東地区)、ギターに放火すること。放火しながらも物の見事にスベること。これもある意味で「型破り」だと言えなくもないのですが――。 そんな、どちらかと言えば苦手だった吉川晃司に、一気に惹き付けられるキッカケとなったのが、そう、COMPLEXなのでした。