【箱根駅伝】当初は"夢物語"だった6区の56分台を実現 MVPの青学大・野村昭夢、足の裏に水ぶくれができながら駆け下りた
前回は「後ろとの差を一番気にして走った」
連覇を決定づけたのは、野村の走りだった。前回も6区を走り、58分14秒で区間2位。その後、新チームとなり、選手それぞれで目標を立てる機会があった。野村はそこで〝56分台〟と書いた。「その時はまだ夢物語というか、書くだけ書いて、あわよくば57分17秒の区間新記録を出せればいいなという感じだったんです」。3年まではケガが多かったが、最終学年になるとその頻度も減り、ケガをしても長期間ではなく、1週間程度で痛みが抜ける程度のものになった。夏合宿でも走り込みができ、結果的に1年間を通して練習を継続できたことから、少しずつ56分台の現実味が出てきたという。 原監督は最後まで懐疑的だった。「1週間ぐらい前から『56分台を出します』と言ってたんですけど、そう簡単に出るもんじゃないぞ、と心の中で思っていました」。野村は走り始めると、本格的な下りに入るまでの上りと、15km~18km付近で「きつさ」を感じたという。「平地を走る場合は、押していけるギリギリのペースで行くことが大事だと思うんですけど、下りに関しては全力を出しても呼吸はあまりきつくならないんです。どちらかというと体のダメージが大きくなる」。負担が大きい左足の裏には水ぶくれができた。後半は「まだあと5、6kmある……」と残している距離の長さも感じながら走り抜いた。 「第100回大会のスタートの時は、後ろとの差を一番気にして走っていたんですけど、今年に関しては『56分台』だけを気にして走って、出せれば後ろも離れて、おのずと区間賞もついてくるだろうと走りました」と野村。原監督も「有言実行、かっこよかったですね。最後の最後までスピードが落ちることなく、運営管理車から見ていて『ものすごいヤツだ!』と思いました」と称賛した。
確立したメソッドと意識の高い選手たち
7区は「基本となるジョグの練習を誰よりもこだわってきた」と自信を持つ白石光星(4年、東北)がつなぎ、8区塩出翔太(3年、世羅)は2年連続の区間賞。9区の主将・田中悠登(4年、敦賀気比)も区間2位の走りで優勝を決定づけた。アンカーは原監督が「1月2日に若林がゴールするまで、誰を置くか悩んだ」末、ルーキーの小河原陽琉(1年、八千代松陰)を起用。小河原にとっては、先輩たちが築いた大きなリードが安心材料となった。「きつかったときにチームメート全員の顔を思い出すと、自然と力が湧き出てきました。ゴールの前でみんなのことが視界に入ったときは、疲れが全部吹っ飛びました」。スローガンを想起させるようなポーズで、大手町のフィニッシュ地点に駆け込んだ。 青山学院大には、箱根駅伝で勝つためのメソッドが確立されている。1年間を春のトラックシーズン、夏合宿での走り込みシーズン、秋の駅伝シーズン、冬のハーフマラソンの4季に分け「選手の能力を把握し、半歩先の目標設定をして、それを積み上げていくのが基本」と原監督。さらに実績を残すことで、モチベーションの高い選手たちが青山学院大に来てくれるという好循環もある。主将の田中は言う。「練習での設定ペースは、入学した1年目よりかなり上がっている。でも『それは当たり前』という認識をチーム全体が持つことで、速いペースでもびびらずに走っていける雰囲気がある」 往路優勝をつかんだ後、後ろと差が広がったとしても、さらに復路の選手がリードを広げていく。原監督が「ピクニックラン」と表現する根底には、これまで築き上げてきたチームの方針がある。「選ばれた者が楽をしてゴールするという文化が、私どもにはないんです。仮に差が開いていて、ゆっくり入って区間10番ぐらいで笑顔でゴールすると、『そんな走りをして恥ずかしくないの?』『俺が走ったっていいじゃないか』という雰囲気になるんです。だから選ばれた者は、自分の能力を最大限発揮する心構えが、我がチームにはある」 自分の意志で好きな陸上競技と向き合い、ライバルでもある仲間と高め合い、箱根駅伝総合優勝というチーム共通の目標へ向かっていく。原監督の作り上げたメソッドに選手たちの高い意識がかみ合い、8度目の頂点をつかんだ。