量子力学の将来とは。/執筆:野村泰紀
さて、最終回となる今回は、前回までにみた量子力学の奇妙な性質が、将来のテクノロジーにどういった影響を与えうるかについて書いていこうと思います。もちろん量子力学は、今でも私たちが使っているほぼ全てのテクノロジーの基礎となっているのですが、今から紹介する技術は量子力学の奇妙な性質をよりダイレクトに使って、テクノロジーの世界に「量子革命」とでも呼ぶべき変化をもたらすことになると期待されているものです。 野村泰紀さんの1か月限定の寄稿コラム/TOWN TALK
前回みたように、量子力学では異なる世界を「重ね合わせる」ことができます。具体的には、二重スリット実験の例では、電子が二重スリットを通り抜ける際に、電子が上のスリットを通っている世界と下のスリットを通っている世界が「並行世界」として重なり合っています。そして、この二つの世界が干渉することにより、スクリーン上に干渉縞のパターンが現れることになります。 ここで一つの疑問は、なぜ私たちはこのような並行世界やそれらの干渉を、日常生活で感じないかということです。しかし、これは一般に異なる世界が干渉する確率は100%ではない、という事実によります。例えば、電子や陽子などの「素粒子」がある位置Aにある世界と、別の位置Bにある世界が干渉する確率が10%だったとしましょう。この場合、陽子と電子という2つの粒子からできている水素原子が違う場所にある世界が干渉する確率は10%の10%、つまり1%になります。なぜなら、水素原子を干渉させるには、それを構成する陽子と電子という2つの粒子を両方とも干渉させる必要があるからです。同様にして、3つの粒子で構成されているものが干渉する確率は、10%×10%×10%で0.1%、4つの粒子で構成されているものが干渉する確率は0.01%になります。 では、人間はどのくらいの数の粒子でできているでしょうか?100000…とゼロが20数個付くくらいの数です。ですから、このような「マクロ」な物体が別の状態を取っている世界─例えば私が違う姿勢をとっている世界─が干渉する確率は限りなくゼロに近くなります。これが、私たちのようなマクロの世界の住人が、量子力学の効果を直接感じない理由です。 しかし、この干渉確率は、システムを精密にコントロールすることによって上げることができます。その結果、例えば一つの粒子の干渉確率を99.9%まで上げたとしたら、1000個の粒子でも約37%の確率で干渉させることができることになります。そして、これを計算に使おうというのが、量子コンピューターという技術です。 私たちが現在つかっているコンピューターは、0か1かの値を取るビットというものの組み合わせで動いています。これを使って、例えば整数は0 → 0000、1 → 0001、2 → 0010、3 → 0011、4 → 0100、5 → 0101、6 → 0110、7 →1111のように表すことができます。つまり、4ビットで、0から7までの整数と同じ分だけの情報を扱うことができます。 しかし、量子力学では、このビットに対応する量子ビットは0と1の重ね合わせの状態を取ることができます。そして、重ね合わせは確率的に与えられるため、たとえば量子ビットを32.1%の確率で0、67.9%の確率で1を取るという状態や、58.2%の確率で0、41.8%の確率で1を取るといった状態にしておくことができるのです(本当はもう少し複雑ですが、大まかにはこんな感じです)。これは、一つの量子ビットの中に、単純な0と1のビットよりもはるかに多くの情報を詰めることができることを意味します。例えば、もし量子ビットが0を取る確率をパーセントで小数点一桁まで計れるとすると、量子ビットが0を取る確率というかたちで、一つの量子ビットで0から1000までの整数を表すことができるのです。 このような異なる世界の干渉をつかったコンピューター─量子コンピューター─は、従来のコンピューターとは桁違いの計算能力を持つことになります。量子コンピューターが一般に実用化されるまでには、まだおそらく10年以上の時間がかかりますが、研究段階のものはすでにできており、グーグル、IBM、理化学研究所などが開発にしのぎを削っています。最近では2019年に、グーグルが53個の量子ビットを使って、最先端のスーパーコンピューターで約1万年かかる計算を約3分で解いたと発表して世間を驚かせました。