《ブラジル》10年後の日本祭りはどんな姿か? 問われる県人会の今後と母県の理解
第1回の郷土食提供はわずか13県人会
この週末、ブラジル日本都道府県人会連合会(谷口ジョゼ会長、以下「県連」)が主催する、世界最大規模の日本文化の祭典「第25回日本祭り」が無事に開催され、20万人近くが来場した。ボランティア及び各県人会の関係者の皆さんに、心からお疲れ様と言いたい。このような素晴らしい行事が開催できるのは、ブラジルには270万人という世界最大の日系社会があり、世界で唯一47都道府県人会が揃っている国であり、ここが世界有数の親日国だからだ。 ここ10年余りの歴代県連会長に会場で話を聞き、現在までの日本祭りを振り返り、10年後の展望を尋ねてみた。第1回日本祭りは日本移民90周年記念行事「第1回郷土食郷土芸能祭」として、1998年7月にイビラプエラ公園のマルキーゼ(屋根のある通路スペース)で始まった。 第1回経験者の本橋幹久元県連会長(88歳、鳥取県出身、県連会長2012―15年)は、「今でも覚えていますが、第1回で郷土食に参加した県人会はわずか13でした。現在のように40前後参加する状況からすれば、じつに貧相なものでした。あれから考えれば、現在の日本祭りは完全に別次元です」と振り返った。今のようなバザー業者もなく、郷土を紹介するポスター展示等でも10県人会余りが参加した程度だった。 当時は網野弥太郎県連会長で、芸能委員長が鳥取県人会の西谷博会長。西谷さんが芸能関係に強いネットワークがあった関係で、舞台の芸能が中心のイベントだった。同県人会の副会長だった本橋さんは、鳥取市の傘踊り導入を懸命に進めている最中で、第1回が傘踊りのブラジル初披露というタイミングに合わせて鳥取市長と市議会議長に来てもらうなど、奔走したという。
本橋さんは「食の方は、当時はガスが使えない会場だったので、七輪を持ち込んでその場でカレーを作って提供するという、とても郷土食とは言えないレベルでした」と振り返った。 それが現在は食のブースで40県が参加し、物販展示スペースではホンダ、トヨタ、ニッサン、ヤマハ、ヤクルト、パイロットペンなどの蒼々たる日本を代表する企業を始めとする120の企業やバザー業者、総領事館やJICA、日本政府観光局などの公官庁関係も出展、ブラジル日本文化福祉協会やサンパウロ日伯援護協会や当ブラジル日報協会、文化エリアや長生きエリア、子供エリアなどには多数の日系団体が入れ替わり立ち代わり参加した。今年はJICAや農水省の支援により、初めて大規模な日本物産展「ふるさといいもの展」が開催されたのも特筆される出来事だ。 イベント会場では和太鼓、日本舞踊、ラジオ体操や健康体操、リズム体操はじめ、コスプレ大会、ミス・ニッケイ、ストリートダンスなど連日20以上のアトラクションがひっきりなしに開催された。 ラ米最大級のイベント会場のほぼ全域を使って開催された世界最大級の日本文化イベントに成長したのは、世界最大の日系社会の中心があるサンパウロ市の日系団体が総力を挙げて盛り上げたからだ。