「大変な1年だった」熊と戦い続けた20代のマタギが語る「異常」 問題は人間にある「それだけ自然から遠のいたということ」
気温マイナス4度。一面の雪の中、猟銃を肩に掛けた益田光さん(29)が足元を指さした。「これはタヌキの足跡。こっちはテンですね」 クマに襲われ2人けが 秋田・北秋田市 23年
益田さんはマタギだ。ここ秋田県北秋田市阿仁地区は映画「マタギ」(1982年、後藤俊夫監督)などの舞台にもなった、日本を代表するマタギの里。周囲を山に囲まれ、クマの数が多く、かつては200人ものマタギがいたと言われる。 山の見回りに同行させてもらったが、簡単ではない。カメラを持つ手は震え、ブーツが雪に埋まる。先導する益田さんは「まだまだ全然、暖かいですよ」と笑い、スギの木に囲まれた斜面を軽々と登っていく。 数百メートル歩いたところで、スギとブナの林が交わる地点に差しかかった。益田さんが振り向き、口元に人さし指を当てる。 「念のためここは静かに。クマがいるかもしれないから」 ブナの実はクマの好物で、くぼみなど身を隠してえさが食べられる場所にいることがあるという。山中を約1時間パトロールしたが、この日は姿や痕跡が見つからなかった。 益田さんの出身は秋田ではなく、広島県。この地区には5年前に移住し、マタギになった。20代の若者が、クマと戦う過酷な生き方をなぜ選んだのか。(共同通信=斉藤林昌)
▽阿仁での出会い きっかけは、東京農大で林業を学んでいた2014年だった。益田さんが父と一緒に秋田県を旅した際、現地で会った父の知人が「林学をしているなら阿仁マタギに会ってみないか」と紹介してくれた。翌日さっそく会い、2人きりで2時間話し込んだ。最初は怖い印象で、言葉もなまりが強くてよく分からなかったが、最後は笑顔で送り出してくれたのが印象的だった。 元々、森と隣り合わせの環境で暮らしたいと考えていた。そんな中での阿仁マタギとの対面。「この瞬間にぴんときた」。5年後の2019年、秋田県に移住してマタギへの一歩を踏み出した。 ▽兼業マタギ 昔のマタギは狩った獲物を売ることで生計を立てていた。クマの肉や毛皮、内臓は余すところなく生かし、中でも「くまのい」と呼ばれる胆のうは貴重な薬品として高額で取引されていた。かつて阿仁地区では、マタギでなければ生計を立てられなかったという。 ただ、時代とともにクマの肉や内臓の需要は減少。現代のマタギは猟友会の一員として行政と連携し、人里の人身被害や食害を未然に防ぐ役割も大きい。自治体から日当は出るものの生計を立てられるほどではなく、公務員や会社員の傍らで活動する「兼業マタギ」がほとんどだ。