ワクワクするものを日本企業に作ってほしい、デジタル大臣・河野太郎 2年間を振り返る
デジタル大臣としての2年間の取り組みを振り返ったインタビューの前編となる「日本のDXを先頭で進める、デジタル大臣・河野太郎 2年間を振り返る」に続き、後編では最新のデジタルテクノロジーに注目する河野太郎氏の視線の先に深く切り込む。 【画像】デジタル庁はスタートアップの参加を歓迎すると河野大臣はいう ■90年代に自身も経験、霞が関にも根づき始めた「リモートワーク」を推奨する理由 米国のジョージタウン大学を卒業後、日本に帰国した河野大臣は1986年2月に富士ゼロックスに入社する。本社の調査統計部に配属後、当時の小林陽太郎社長のスピーチライティングや財界活動のサポートを担当していた河野大臣は、ある時にまとまった量の英語資料を日本語に翻訳する仕事を任されたことから、しばらくの間「在宅勤務」を行なうことになる。現在でいうところのリモートワークだ。 「その後、日本で最初のサテライトオフィスの実験に富士ゼロックスが加わることになりました。リモートワークの経験を買われた私はこのプロジェクトの現場責任者に抜擢されます。埼玉県の志木ニュータウンに住む社員のサテライトオフィス環境をサポートするため、私は平塚の自宅から片道2時間以上かけて志木まで通勤しました」 「当然のことながら、当時まだZoomのようなリモート会議ツールもなかったので、テレビ会議用の大きなシステムを使いました。ネットワーク通信の環境も未成熟だったので、画像はコマ落ちするわけです。ところが、それでも何不自由なくリモートワークをこなすことができたことから、私は会社に行かなくてもかなりの仕事がこなせるという確信を持ちました」 周知の通り、コロナ禍を経た後にようやく日本にもリモートワークという働き方が定着して、今ではワークスタイルの選択肢にもなった。ところが昨今では再びオフィスに出社して働くことを社員に奨励する企業も増えている。河野大臣は「私はおかしなことだと思います」と首をかしげる。 「やりたいことに応じた働き方を選びながら、誰もが『こういう人生を送りたい』という希望を叶えるためにリモートワークを活用することはとても前向きな決断だと思うからです。コロナ禍の間、私は行政改革担当大臣として霞が関にもリモートワークを根づかせるためさまざまなことに挑戦してきました。行政機関で働く人たちの中にも、仕事をしながら育児や介護にも携わる方々が多くいます。最近は学校を卒業した若い人たちが、霞が関で働くことに興味を持ってくれないとも言われています。オフィスに出勤しなくても自由な働き方が選べる霞が関にすることが、優秀な人材を獲得するためにも有効であると考えます」