『きみの色』「共感覚」の色彩が描き出した、山田尚子監督の物語
山田尚子監督の物語
これまでの山田尚子監督の歩みを辿るような脚本になったのは、これまで山田監督と何度も仕事をしてきている脚本家・吉田玲子の存在があってこそなのだろう。原作の本質を捉え、ブラッシュアップするエキスパートである吉田玲子は、山田監督の作風をも一つの具体的なかたちへと象徴化しているのである。一方で、脚本は単独クレジットとなっているものの、実際には監督がさまざまな設定やアイデアを吉田に託すことでオリジナルストーリーが完成している。 山田監督は企画書のなかで、いまの若者の“「社会性」の捉え方”に着目していることを明かしている。他人や社会との関係性に集中することを余儀なくされ、表層と内面のバランスを保つことがより求められている環境下で、大勢の思春期にある人が苦しんでいるというのである。それが限界を超えてしまうとどうなるかというのが、高校をドロップアウトする、作永きみというキャラクターに反映されていると考えられる。 彼女もまた、トツ子とは違う意味で、自分が他者と異なること、理解者が少ないことで孤独感に苛まれている。だからこそトツ子や、自分の道を選びとることができないルイと心を通わせ合い、世間の価値観から逸脱しつつも自分が信じる方向に進む自信を得ることができたのだろう。その心情は、同じように青春時代の紆余曲折を描いた『トレインスポッティング』(96)の挿入曲ともなった、Underworldの「Born Slippy」や、今回のバンド曲「あるく」の歌詞に反映されている。 本作にとって、トツ子らが組んで完成させたバンド曲と歌詞は、テーマを極力セリフに頼らないという姿勢を補強するものとなっている。こちらも、これまで3作もの山田尚子監督作で音楽を担当してきた牛尾憲輔が、バンド「相対性理論」のギタリストでもある永井聖一や、テルミン奏者としても知られる音楽家のグレゴワール・ブランの力を得て完成させたものだ。 牛尾憲輔は、さまざまなアニメーション作品を中心に、劇伴の面から微細なサウンドを重なることによって、静謐かつ繊細な感覚を映像作品にもたらしてきた。それは本作でも変わらないのだが、同時に担当したバンド曲については、4度目のタッグとなる山田尚子監督をして、「牛尾さんからこんなポップな音楽が生まれてくるんだ」と、驚くようなものに完成されている。 複数のミュージシャンとともに異なる感性を組み込んだ上で、オルタナティブなものを出力していくという意味において、現代的なバンドが時代を変えていくというドライブ感やライブ感のようなものまで、擬似的に作り得ているのである。その意味において、音楽面でも本作は興味深いものとなっている。 作中のバンドの3人がそうであるように、物語や演出、音楽、そしてもちろんアニメーターとのレベルの高い共同作業が、本作『きみの色』を特別なものにしたのは確かなことだ。それは、山田尚子監督のこれまでの経験や他者との関係によって生み出されたものでもあり、この作品における成功もまた、ある意味でのバンド活動だったといえるかもしれない。そういう意味において、本作は山田尚子監督自身の物語であるとも考えられるのである。 文:小野寺系 映画仙人を目指し、さすらいながらWEBメディアや雑誌などで執筆する映画評論家。いろいろな角度から、映画の“深い”内容を分かりやすく伝えていきます。 Twitter:@kmovie 『きみの色』 大ヒット上映中 配給:東宝 ©2024「きみの色」製作委員会
小野寺系