『きみの色』「共感覚」の色彩が描き出した、山田尚子監督の物語
「共感覚」という特殊なモチーフ
そんな感覚をより豊かに醸成しているのが、キャラクターたちの瞳やまつ毛、眉毛や髪の毛、そして服の皺や厚み、などの詳細な描画だ。アニメーション作品では制作の都合上、できる限り線の数を減らすことが求められる。キャラクターデザインの段階で、線が一本、二本増えるだけで、それだけアニメーターの負担が増加してしまうからだ。そしてそれが、アニメ独自の引き算によるポップな絵柄をかたちづくる要因となってきたのである。日本アニメ界を代表する、高畑勲や宮﨑駿もまた、それぞれにそういったアニメの特徴を制約と捉え、作品のなかでそこから脱却する術を模索してきている。 本作が表現する、少女漫画を思わせる繊細な描画の手法は、手描きによる詳細な魅力を発揮させることで、高畑、宮﨑の課題を、山田尚子監督なりに受け継いでいるように感じさせる。そしてその効果は、通常のアニメーション作品よりも生々しいものとして観客の感覚にうったえかけてくる。この実験は、サイエンスSARUという、より先端的な表現への挑戦がしやすい土壌だからこそ可能なものになったといえるのではないか。 では、本作はこの手法を通すことで、何を伝えようとしているのか。 「共感覚」という要素が物語上の展開に大きな影響を及ぼさないことが示しているように、その特殊性自体は、主題というよりも足がかりのような役割を担っていると考えられる。そして、トツ子という天真爛漫な少女でさえも、自分が他人に深く理解されていないという実感を持っていたり、“自分の色が見えない”という状況から、他者や社会へのかかわり方を捉えきれないことへの、思春期の焦燥を表していると考えられる。 そんなトツ子の人生の課題は、バンドのメンバーとなる、青い色を放つ作永きみ、緑色の光を帯びた影平ルイによって、解決の方向へと進み始める。「青」、「緑」、「赤」は、光の三原色といわれ、この三つの要素が合わさることで、光は純粋な白い色に輝くことになる。トツ子は他者との関係、役割を通して、それを構成するための自分の色を発見するのだ。バンド曲「水金地火木土天アーメン」の印象的な歌詞は、バンドに必要な個性として、トツ子の独特な感性が発揮されたものでもある。 彼女の人生にとって、バンド活動期間は短いものに過ぎず、その後音楽を続けていくかどうかすら分からない。しかし、他者との関係のなかで自分の“色”を掴んだという経験は、人生全体に大きな意味を持つことになるのだろう。「共感覚」という特殊なモチーフは、そういった気づきを視覚的に表現するためのものでもあることが、ラストシーンで示されることになる。それはまた、監督作『映画 聲の形』(16)における、精神状態の視覚的な記号であった「×マーク」の応用とも捉えられる。