『きみの色』「共感覚」の色彩が描き出した、山田尚子監督の物語
『きみの色』あらすじ
高校生のトツ子は、人が「色」で見える。嬉しい色、穏やかな色。そして、自分の好きな色。そんなある日、同じ学校に通っていた美しい色を放つ少女・きみと、音楽好きの少年・ルイと古書店で出会う。勝手に退学したことを、家族に打ち明けられないきみ。母親からの将来の期待に反して、隠れて音楽活動をしているルイ。そして、自分の色だけは見ることができないトツ子。それぞれが誰にも言えない悩みを抱えていた。「よかったらバンドに、入りませんか?」音楽で心を通わせていく三人のあいだに、友情とほのかな恋のような感情が生まれ始める。やがて訪れる学園祭、初めのライブ。観客の前で見えた三人の「色」とは。
セリフに頼らない感情表現
劇場アニメーション『きみの色』(24)は、これまでの山田尚子監督の足取りを辿るような集大成的作品になるとともに、完全オリジナルという自由な環境で作家性を発揮する挑戦的な長編となった。そして、その目論見は功を奏し、山田尚子監督の現時点での代表作となることは間違いないと言えるほど充実した内容に仕上がっていた。 本作『きみの色』は、高校生3人のバンド活動を題材に、思春期の男女の繊細な感情を、静謐な雰囲気と親密な関係性のなかで丹念に映し出していく。初監督シリーズ『けいおん!』を想起させるような、高校生のバンド活動が生み出す小さな世界を描くスケール感と、TVアニメシリーズ『響け!ユーフォニアム』のスピンオフ映画『リズと青い鳥』(18)において実験的なまでに徹底された、極力セリフに頼らない感情表現を追求する姿勢が反映されている。 そんな本作を象徴しているのが、物語の起点となるキャラクター、日暮トツ子が持つ、他の人間や、その感情が“色”を帯びて見えるという個性。ミッション系の高校に通い寄宿舎に住んでいる彼女は、一般的に「共感覚」といわれる、通常の知覚以外の感覚が同時に発生する世界に生きている。それはまさに、山田尚子監督がこれまで描こうとしてきた、言語化し得ない感覚の表現を、物語上でも結びつけようとする試みである。 トツ子だけが見える“色の波”のビジュアルは、同じく劇中で登場する、打ち込み音楽に利用されるPCのソフトで、波形が流れていく画面にも似ているように感じられる。「共感覚」は、人だけでなく、風景や音楽がカラフルな映像として目に見えるといわれる。そんな自分だけの世界をポジティブに捉えられたとしたら楽しいことだろう。本作は、その感覚的な楽しさを多くの場面でそのまま主観的に描き続けるのではなく、観客に想像させるかたちでの表現方法へとシフトしていく。 その代わりとして描かれるのが、天候の移り変わりによる光の表現である。本作は長崎と、離島の五島列島でのロケハンがおこなわれている。「キリシタン」の歴史が息づいてきた土地で、ポップなアニメーション表現のなかに、透過光や色のフィルターが繊細に画面を包み込むことで、荘厳な宗教画のような雰囲気が侵入してくるのだ。