世界最高峰のサッカーリーグはどのようにして生まれたのか 相次ぐ事故や火災で死傷者、暴動と悲劇を経て動き出した改革【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生①】
サッカーの「母国」イングランドの「プレミアリーグ」は世界最高峰のリーグとして知られる。世界的スターが名声を確かなものとし、三笘薫や香川真司といった日本を代表する名手も活躍の場を求めて海を渡った。 【写真】JFA宮本会長「非常に残念」
リーグの人気は欧州域内にとどまらず、試合の視聴世帯は世界約190カ国・地域の9億に上る。市場規模は1兆円とスペインやドイツの約2倍に及び、イタリア、フランスを含めた欧州5大リーグの中で群を抜き、サッカーは王室と並ぶイギリスを代表するブランドになった。 だが1992年のリーグ開幕以前はフーリガンと呼ばれる過激な集団が暴れ回り、スタジアムでは痛ましい死傷事故も相次ぐ苦難の時代にあった。どん底の状況から、どうやって成功への道を駆け上ったのか―。元選手やクラブの幹部、サポーターなど時代を知る関係者の証言とともに、イギリスのサッカー界と社会が変ぼうする軌跡を全12回の連載でたどる。(共同通信=宮毛篤史、田丸英生) ▽物価高にスト頻発、経済の長期停滞で「イギリス病」に 1970年代のイギリス社会は鬱屈した空気が支配していた。18世紀に世界で最初に産業革命が起こり「世界の工場」として長く繁栄したが、2度にわたる石油危機で激しいインフレに見舞われ、景気の後退と物価高が同時に起きる「スタグフレーション」に悩まされていた。
労働党政権の下で労働組合が強い発言力を持ち、賃上げを求めて国中でストライキが頻発。合理化が進まず、企業は国際競争力を失い経済の活力は衰退していた。経済規模は日本や西ドイツといった第2次世界大戦の敗戦国に差を開けられ、1960年代から1970代まで景気の長期停滞を招いたことから、「イギリス病」という不名誉な称号を得た。 失業率は戦後最悪の水準に達し、職にあぶれた若者は社会への反抗心を募らせた。ニューヨーク発のパンク・ブームがイギリスに飛び火し「セックス・ピストルズ」に代表されるブリティッシュパンクが音楽業界を席巻した。この頃、スタジアムでは一部のファンが暴徒化し、破壊や暴力行為に及んだ。 ▽フーリガンの誕生 それぞれのサッカークラブでは「ファーム(Firm)」と自称するフーリガンのギャング集団が生まれた。スタジアムや駅の周辺で相手チームのファンを待ち伏せし、ナイフを持ち乱闘を繰り返した。