世界最高峰のサッカーリーグはどのようにして生まれたのか 相次ぐ事故や火災で死傷者、暴動と悲劇を経て動き出した改革【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生①】
▽サッチャー首相「テロリスト、フーリガン、麻薬密輸組織は悪」 イングランド勢は欧州サッカー連盟が主催する全てのクラブ大会への参加を5シーズン、リバプールは6シーズンにわたり禁じられた。 イングランド代表は国際試合を許されたが、メキシコで行われた1986年のワールドカップ(W杯)ではアルゼンチン代表と準々決勝で対戦し、ディエゴ・マラドーナの「神の手」と「5人抜き」のゴールで負けた。2年後の欧州選手権では1次リーグで3連敗を喫し、冬の時代を迎えた。 ヘイゼルの悲劇を機に当時のマーガレット・サッチャー首相はフーリガン対策に全力を尽くす決意を新たにする。サッチャー首相は1985年8月、ロンドン警視庁を訪問した際にこう宣言した。「テロリスト、フーリガン、麻薬密輸組織は疑いようのない悪です。彼らは犯罪そのものなのです。私は必ずフーリガンを打ち負かします」 ▽「ヒルズブラの悲劇」ユニホームに刻まれる「97」
サッチャー首相は反共産主義を掲げ、周囲の反対を気にとめず強い意志で改革を成し遂げたことから「鉄の女」と呼ばれた。対立するソ連の機関紙につけられたあだ名だったが、本人は気に入っていたとされる。 警察にはフーリガンの締め付けを指示した。観戦中やスタジアムに向かう電車内などでの飲酒を1985年に禁止した。1989年にはフーリガンの入場を防ぐためサッカー観戦者法を成立に導き、暴力行為や差別的な発言をしたフーリガンにはスタジアムへの入場を禁じた。 ただ、そうした対策を進める最中の1989年4月15日、シェフィールドで行われたFA杯準決勝でイギリスのスポーツ史上最悪の事故「ヒルズブラの悲劇」が起きた。警察が誘導を誤り、定員を大幅に超えるリバプールファンが「テラス」と呼ばれるゴール裏の立ち見席に押し寄せて大勢が押しつぶされ、97人がこの事故で命を落とした。リバプールのユニホームに刻まれる「97」の数字は、犠牲者への哀悼の意を込めたものだ。