世界最高峰のサッカーリーグはどのようにして生まれたのか 相次ぐ事故や火災で死傷者、暴動と悲劇を経て動き出した改革【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生①】
現場にはファームの名を記したメッセージカードを残し、力を誇示した。欧州大陸でのアウェーゲームでも暴動や窃盗などの騒ぎを起こし、イギリスは「フーリガンの輸出国」というレッテルを貼られた。 特に悪名高かったのが、ロンドン南東部の港湾労働者を中核ファンとするミルウォールのフーリガンだ。「誰も俺たちのことを好きじゃない。でもそんなこと気にしないぜ」。今でもスタジアムでこだまする応援歌の歌詞そのままにイングランド中を暴れ回った。 組織は鉄の結束を保った。11歳でミルウォールのファームに入り、トップの一人に上り詰めたジンジャー・ボブ氏は出演した番組で打ち明けた。「相手から逃げた奴はファームから完全に追放される。たとえ殺されることになったとしても立ち向かわなければならなかった」 ミルウォールのホームスタジアムは「ザ・デン(巣窟)」という。アウェーチームのファンとして当時、ザ・デンを訪れた地方公務員アンソニー・マルシッチさん(59)によると、ミルウォールのフーリガンは狭い入り口の上に立ち、レンガを投げつけて来たという。「デンに行けばレンガがもらえるぞ。集めれば家を建てられる!」。そんなブラックジョークがサッカーファンの中で交わされた。
▽ヘイゼルの悲劇、スタジアム火災で39人が犠牲 フーリガンの暴力行為は1985年にピークを迎える。3月13日、ミルウォールのフーリガンがイングランド協会(FA)カップ準々決勝のルートン戦でピッチに乱入し、大規模な暴動を起こした。5月11日には、老朽化したブラッドフォードのスタジアムで火災が発生。タバコの不始末が原因とされ56人が死亡した。さらに5月29日、ベルギーの首都ブリュッセルで「ヘイゼルの悲劇」と呼ばれる痛ましい事件が発生した。 事件はヘイゼル・スタジアムで催された欧州サッカー連盟(UEFA)主催の欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)決勝のキックオフ前に起きた。2年連続5度目の優勝を目指すイングランドのリバプールのファンが、フランス代表のミシェル・プラティニを擁するイタリアのユベントスファンに襲いかかり、逃げ惑う人が押しつぶされるなどして39人が亡くなった。試合は0―1でリバプールが敗れた。