吉川晃司「恥をかくことを恐れない」攻めの姿勢を貫き40周年「これからも自分の“生き様”を示していきたい」
1984年に映画「すかんぴんウォーク」とその主題歌「モニカ」でデビューした吉川晃司。2024年はデビュー40周年という大きな節目を迎え、10月5日から40周年を記念したツアー「KIKKAWA KOJI 40th Anniversary Live」がスタートした。5月に行った布袋寅泰との伝説的ユニット・COMPLEXとして能登半島地震の復旧・復興支援のための東京ドーム公演「日本一心」も記憶に新しいところ。さらに、音楽活動のみならず、映画「キングダム 大将軍の帰還」で“武神”と称されるホウ煖(けん)を演じるなど、俳優としても積極的に活動し、出演作は常に大きな話題となっている。 【写真】ぶれずに歩み続けて40周年…2月8・9日には日本武道館で40周年ツアーのファイナルを迎える 今回は「UL・OS」ブランドアンバサダー・吉川にインタビューを実施。40年の活動を振り返ってもらい、変わったこと、変わらないこと、今行っていること、そしてこれから挑んでいくことなど、さまざまなことを語ってもらった。 ■体作りはハードなトレーニング「HIIT」 ――ツアーが始まりましたが、現在はどのような体作りをされていますか? 今、トレーニングの中でメインになっているのは「HIIT(高強度インターバルトレーニング)」です。週に2回やっていて、そのうちの1回は現役のキックボクシングの選手(キックボクシングの元世界王者)と一緒にやっています。時間でいうと、1回につき60~70分くらいなんですけど、これがかなりきつい。普段、筋トレなんかをやっている人たちでも30分くらいでひっくり返っちゃうんですよ。 というのも、この「HIIT」というのは心拍数をマックスまで上げた状態で激しい運動をするので、体にすごく負担が掛かるんです。初めてやる人たちは面白いようにぶっ倒れていく。それくらいハードなんです。 本来は週1で十分なんですけど、現役の選手たちから「ぜひ一緒にやりたい」ということで週2回になっています。彼らは30代から40代で、一番年上の方が僕のひと回り下。何人かでやるから、乗り越えられるという部分があります。一人ではとてもやれるものではないと、みなさん自覚してますね。 ■トレーニングが嫌にならないように「自分で工夫」 ――「HIIT」をメインにしている理由は何ですか? 僕がやっているのは、一般的なHIITとは少し違って、格闘技のために特化したHIITトレーニングなんですけど、考えてみたらライブで2時間歌い続けるというのも結構格闘技に近いんです。僕らのような仕事の場合は、よくあるマシンを使った筋トレとかはあまり意味がない。偏った鍛え方になっちゃうんです。 それよりは、インナーマッスルや体幹を鍛えることの方が重要。体の全部がバランス良く動かせないとダメなので。そういう意味ではぴったりなトレーニングですね。 ――かなりきついトレーニング方法のように思えますが。 割と最初から過酷なメニューにも耐えられたのは、実際に今でもステージに立っているからだと思います。あと、若いころに水球や水泳をやっていたのも大きいんじゃないかと言われました。水球で作った体があったから、ハードなツアースケジュールにも耐えられたし、今でもライブをやっているからトレーニングにも耐えられている。全てがつながっているんです。 ただ、どうしても年齢と共に衰えていく部分はありますから、そうなると運動量を増やして抗うしかない。だから昔よりもトレーニングに使う時間は長くなっています。 ――“トレーニング”が全ての基礎になっているんですね。 時々、「吉川さん、楽しそうにトレーニングしてますね!」とか言われることがあるんですけど、冗談じゃないですよ(笑)。本音では楽しくないです。水泳とか、ずっと景色も変わらず泳いでいるだけですからね。プールの底に、泳ぎながら映画を見られるようなシステムを作ってもらえないかとずっと思っています。あとは、底に「あみくだじ」みたいなものがあって、それに従って泳いでいくと、最終的に何か当たって景品をもらえるとかね(笑)。とにかく、そういうのがない場合は、なんとか嫌にならないように自分で工夫するしかないんです。 「これだけやっているんだから大丈夫だ」と自信を保つためにやっている部分もあります。よくオリンピックのメダリストの皆さんも「最後はどちらが多く練習したかです」とおっしゃっているでしょう? もちろん、僕らとレベルは違いますけど、根本は同じことかなと思います。 ■「何歳になっても臆さず挑戦する気概を持っていたい」 ――デビュー40周年ということですが、いろんなことに挑戦されてきています。これまで歩んできた道は、ご自身が望んだ通りのものでしたか? 「思い通りか?」と言われると決してそうじゃないですね。デビューの時からそうなんです。僕は歌手をやりたかったのに渡辺プロダクションの社長だった渡邊晋さんから「お前は歌より芝居をやれ」といきなり言われました。「経験ないですよ」と言っても「教わればいい」って(笑)。それで映画とレコードの両方でデビューすることになったんですけど、20代から30代の半ばまで、途中10年以上は一切役者をやっていなくて、三池崇史監督から声をかけられることがなかったら、今もずっとやってなかったかもしれない。 ――三池監督がきっかけをくれた感じですね。 そう考えると縁があったんでしょうね。それに、何事も経験していくことが自分のプラスになるんだと気付きました。たとえば、ナレーションの仕事を頂いて、それを勉強していくと、歌手としての自分にも役立つ部分があって。初めてのことをやると最初はうまくできなくて恥をかくことになるんですけど、実はそれが大事なんです。そこでの失敗が必ずプラスになるので。 だから、何歳になっても初めてのことに臆さず挑戦する気概を持っていたいし、恥をかくことを恐れない自分でありたい。この歳になって、まだハードルの高いオファーをいただけること自体がありがたいんです。それこそ映画「キングダム」のホウ煖なんかもそうです。器用貧乏みたいにならないように気を付けつつ、これからもいろんなことに積極的にチャレンジしていきたいですね。 ――“恥をかくことを恐れない”という言葉にハッとさせられます。 やらないで終わるより、“やったけどダメだった”の方がいいとずっと思っているんです。やるかやらないかで悩んでいる間がもったいない。負けることを恐れるのも分かるけど、“負けてもいいんだよ”と。その負けによって得るものというのが確実にあって、どこかのタイミングできっと“勝ち”に変わっていくんです。 今は時代がだいぶ変わってきてしまって、失敗できない世の中になってきたのが若い人たちにとってはかわいそうだと思う。いろんな意味で、窮屈な世の中になっていて、チャンスは減ってきてるのかもしれない。でも、やっぱりトライすることによって、その時は失敗しても、“こうすればうまくいくんじゃないか”という考えも見つけやすくなっていくんです。だから、どんどん挑戦してほしい。攻めの姿勢を貫いてほしいですね。 ■「世間の波に流されてしまうのだけは絶対に嫌」ぶれずに歩み続けて40周年 ――吉川さんの人生において、初めてのチャレンジは「上京」だったということですが、進学校に通って、水球選手としての将来も嘱望されていた中での決断ということですよね? 考えてみたら大それたことだったけど、なぜあんなことがやれたんだろう?(笑) 当時からあんな摩擦係数の高いやり方しかできなかったんです。もうちょっとうまいやり方があったんだろうけど、そういうのは自分には向いていないというか、昔より多少は知恵がついた今でも苦手なんです。 でも、なぜか自信だけはあったんですね。何の心配もしていなかった。自信の根拠があったとしたら、それこそ水球くらいですよ。まだまだ道の途中ではあったけど、若かった割に結果を出せていたから「これがやれるのなら他のことだってやれるはずだ」と思っていたんでしょうね。だから、あんな冒険ができたのかなと。 ――昔から一貫して変わらない部分、変えてない部分を教えてください。 自分の中に、世間の波に流されてしまうのだけは絶対に嫌だという気持ちがあります。「朱に交われば赤くなる」という言葉がありますけど、「染められてなるものか」というのはいつも思っています。聞き分けが良くなることが「大人になる」ことなら、そんな大人の仲間入りはしたくない。世の中をうまく渡っていくという生き方がそもそも向いていないんです(笑)。 “清濁併せ呑む”ってことが得意ではないし、“石橋を叩いて渡る”くらいなら泳ぎが得意なんだからそもそも橋など利用せずとも、川を泳いで渡ってやるよ、という。良く言えば、“ぶれない”ということになるんでしょうけど、要するに根性が器用じゃないんです(笑)。自分でも融通が利かないやつだなと思うことはあります。 ただ、近年はおかげさまでいい歳の取り方をしているみたいに言っていただけることが多いというのは、それなりに長い間、僕が自分の思う“格好良さ”を追求してきたことが、皆さんに伝わったのかなと思います。ロックミュージシャンとして見得を切り続けてきたので、これからも貫き通すつもりです。 ■還暦は“通過点”「いろんな出会いや縁には感謝」 ――40周年を冠したツアーが始まり、ファイナル(2月8日・9日、日本武道館)を迎えるころにはデビュー41周年、そして2025年の夏には還暦を迎えられます。 還暦といっても通過点で、それはあまり大きな意味は感じてないんですけど、ここ最近のツアーで一番考えているのは、お客さんにどれだけ楽しんでもらえるものにするかということなんです。もちろん、そのためにはステージ上の自分たちも楽しもうと思っていますけど。 というのも、ここ10数年くらい、いろいろとおかしいじゃないですか。地震や異常気象が続いて、“1000年に一度”みたいなことが立て続けに起こっている。日本だけじゃなくて地球規模ですよね。これは我々人間が試されているのかとも思うけど、誰もがストレスを抱えて生きる時代になったんだと思います。戦争に巻き込まれていく恐怖もある。そんな中で僕らができることって、束の間でもストレスを忘れてもらって楽しんでもらうことだろうと。それが今の目標ですね。 ――“通過点”ということで、今後もまだまだ走り続けていくということですね。 40年たって、こうして歌い続けられるのはラッキーだと思いますし、いろんな出会いや縁には感謝しています。でも、自分たちが豊かさを享受できた分、若い世代に何か残せたかというとそれは胸を張れない部分もあって…。いつまでやれるか、先のことは分かりませんけど、ステージや映像の中でこれからも自分の“生き様”を示していきたい。それを見た人たちが「人生捨てたもんじゃないな」というふうに思ってくれればうれしいです。 ※ホウ煖のホウは正しくはやまいだれに龍