/17 第69回大会(1997年) 分校球児、初めての甲子園
1997(平成9)年の第69回大会には日高中津分校(和歌山)が分校として初めて甲子園の土を踏んだ。当時の生徒数は112人。同年2月1日、分校にセンバツ出場決定の報が届くと、和歌山県中部、過疎化が進む人口約2600人(当時)の中津村(現日高川町)は喜びに沸き返った。 分校は49(昭和24)年、林業を主産業に約5000人が暮らしていた同村の誘致活動が実り、地元の小学校に併設される形で開校した。定員割れ対策と村の活性化のため、野球部が創部されたのが84(昭和59)年。養護学校教諭から転任した垣内邦夫監督は部員5人とともに土を掘り返して石を取り除き、グラウンド整備から始めた。 村民から練習場所や用具の提供を受け、住民のほぼ半数が後援会に入る後押しもあり、野球部は少しずつ力をつけた。96(平成8)年秋の近畿地区大会で8強に食い込み、創部13年で甲子園切符をつかんだ。 1回戦の相手は、センバツ26回目の出場で春夏通算10回優勝(いずれも当時)の中京大中京(愛知)。日高中津は4番・坂尻拓美外野手の2本の適時打などで中盤まで3-0とリードした。しかし、五回まで無安打投球を見せていた北山信賢投手が六回に集中打を浴びて逆転を許し、3-6で敗れた。 アルプススタンドには全国から集まった七つの分校の生徒らも陣取り、声援を送った。甲子園の広いグラウンドではつらつとしたプレーを見せた選手たちに球場全体から拍手が湧き起こった。=つづく ……………………………………………………………………………………………………… ▽1回戦 日高中津 000102000=3 00000501×=6 中京大中京