なぜ村田諒太はTKO勝利の後に「リアルな相手と戦いたい」とサプライズ発言をしたのか?
試合後、バトラーは控室にこもって報道陣への対応を拒否。代わってメディアに応じたゴールデンボーイプロモーションのロベルト・ディアス氏は「体調は大丈夫だが精神的にダメージを受け、落ち込んでいる。村田は経験で上回っていた」と代弁した。 実は、人知れぬ不安との闘いがありキャリアで一番の緊張感があった。 「ブラントとの2戦目より緊張した。いい試合のあとにいい試合をしなければならない。相手もどんなボクサーか謎の部分も多かった。しかも絶対に負けられない試合」 1か月以上、宿泊していたホテルでは、いろんな思いが交錯して眠れない日もあった。 「早く試合が始まって早く終わってくれないものか」 夏の終わりに村田が故郷の奈良で開催された祝勝会に招かれた。台風の影響で新幹線の計画運休がされた日だった。祝勝会が終わり、奈良から在来線に乗って京都駅まで行った村田は、新幹線が予定より早くストップしていることを知ると、もう一度、30分もかけて奈良に戻って二次会に合流した。お好み焼きをつつきながら村田は、気を許す仲間に、モチベーションの話をしていた。ロブ・ブラント(米国)とのボクシング人生をかけた再戦を制して次戦に5階級制覇王者、マニー・パッキャオ(フィリピン)に土をつけたことで知られるジョフ・ホーン(豪州)との交渉に入っていたが、そのホーンが”前哨戦”で敗れ対戦候補がいなくなっていた。 「次の試合のモチベーションをどう作るか。ブラントの1戦目は、その次のことばかりに気持ちがいって負けました。だからそれがモチベーションではダメなんです。難しいです」 自己との“内なる戦い”である。 昨年10月にラスベガスで行われたブラントとの防衛戦では「勝てば東京ドームでゴロフキン戦」という話が先行し足元をすくわれた。ブラントとの再戦では失った己の尊厳を取り戻すことだけに集中できた。そして、今回、対戦相手が一転したバトラー戦では、再び、その意思の強さを試される試合となったのである。 モチベーションとは何か?の答えが出たのは、10月16日の記者会見で、わざわざ来日したバトラーを目の前にした日である。会見で「モチベーションの難しさの話」を自ら切り出した村田は、自宅に帰って、もう一度、考え方を整理した。真面目な男である。 「モチベーションって夢であり目標。全団体を統一したい、世界で一番強くなりたい、とボクサーの誰もが持っている夢。でも、そこにたどりつくまでの道を考えることがモチベーションなんです。(負けた)ラスベガスでは、その間が抜けていた。今回は、モチベーションを、この試合へやるべきことを消化することだけに置いた」 目の前の試合に勝つ方法と手段だけを全力で考えて実行した。 浜田剛史代表からは「スパーリングで試合に近いいい状態を作れ」と言われ、そのコンディション作りを守ったという。