“火サス”ばりの崖っぷちキャリアを支えたサウナでの一言「一番いいものも、どん底も味わった」【国本雄資スーパーフォーミュラ引退会見全文】
12月12日、公式テスト開催中の三重県の鈴鹿サーキットで、2024シーズン限りで全日本スーパーフォーミュラ選手権から退いた国本雄資が、『スーパーフォーミュラ引退記者会見』を行った。 【写真】引退会見の途中、サプライズで登場したドライバーたちと記念写真に収まる国本雄資 2011年に前身のフォーミュラ・ニッポンに参戦を開始した国本は、P.MU/CERUMO・INGINGから出走した2016年にドライバーズタイトルを獲得。その後、KONDO、KCMGとチームを渡り歩き、ラストシーズンとなった2024年はITOCHU ENEX TEAM IMPULから出走した。 ここでは引退会見、そして会見後に行われた囲み取材での国本の全発言をお届けする。 ■2016年、タイトル獲得前夜の「充実した時間」 「みなさん、こんにちは。14年間スーパーフォーミュラの舞台で、戦わせていただきましたけども、今シーズンをもちまして退くこととなりました」 「本当にたくさんの方々にサポートしていただいて、この14年間戦うことができましたし、あとはなかなか結果が出ない中でも、トヨタの方々や、TCDの方々にたくさんチャンスをいただけて、そしてチームの方々にもチャンスをいただけて、頑張って来られました。すごく感謝しています」 「それと、トップフォーミュラでは14年間なのですが、僕は15、6歳で四輪にデビューして、そのときにJRP(※日本レースプロモーション。現在までスーパーフォーミュラを開催)が主催しているFCJというレースでデビューしました。カートから上がって、併催されているフォーミュラ・ニッポンで松田次生選手だったり、ブノワ・トレルイエ選手がすごく速くて、それに憧れてこうやって上を目指すきっかけを作ってくれたJRPにも、すごく感謝しています。……何しゃべればいいですかね?(苦笑) 自分で喋るのは得意ではないので、何か質問していただけたら」 ──トップフォーミュラの14年間を振り返って、どんなことが思い出されるか。 「2011年にデビューしたのですが、まさか自分がこんなに長く、14年間もトップフォーミュラで戦えるとは思っていなかったので、正直ビックリしています。あとは、常にトヨタの方に『国本くん、崖っぷちだよ』と毎回毎回言われて、もう火曜サスペンスかよ! って思いながらレースやっていたんですけども(笑)、でもそうやって発破をかけてもらって、そんな厳しい言葉もありましたけど、苦しいときも支えてもらえて、こうやって長くレースができたので、すごく感謝しています」 「ほとんどのレースが悔しいレースだったのですが、辞めてみて思うのは、その悔しい時間だったり、考えて悩んで、もがいている時間は、すごく幸せだったなと感じるようになりました」 ──記憶に残っているレースやシーンは。 「本当にベタなのですが、2016年のシーズンだったり、最後の鈴鹿のレースがすごく印象に残っています。当時2レース制で、1レース目に優勝しないとチャンピオンの権利がないような状況、それこそ崖っぷちで。ポールからスタートした石浦(宏明)さんを、2番手の僕がここで抜かないとチャンピオン絶対取れないし、そんなに何度もチャンピオン争いできることもないと持っていたので、すごく気持ちを入れて鈴鹿に入ったのも覚えています」 「(結果的に)スタートで逆転することができたのですが、前日にもうスタートしかチャンスがないと思ってたので、トヨタの方だったりチームだったりにスタートのことを相談して。トヨタのエンジニアの部屋に『僕のスタートを見てください』という感じで行って、最初はあまり相手にされなかったというか、ひとりぐらいしか話を聞いてくれなかったんですけど、僕がずっと帰らないので、だんだんだんだんみんなが僕の声に耳を傾けてくれるようになって、その部屋にいたエンジニアがこのデータがこうなんじゃないかとか、いろいろ本当にみんなが強力してくれて、『このパーツを変えよう』とか、夜遅くだったのですがすごく充実した時間を過ごすことができました」 「みんなの協力があったからこそ、スタートもすごい決まって……なんか自分の力以上の力が湧いたというか、バンとスタート決められて、チャンピオン取ることができたのですが、そのときに相談に乗ってくれたメンバーがすごく喜んでくれて。乗っているのは僕ですけど、戦っている人はその裏に本当にたくさんいて、一緒になって頑張ってくれているんだなというのを、改めてそのときに感じました」 「あと、前日やっぱり寝られなくて、脇阪(寿一)さんといまはもうないサーキットのサウナに行って、サウナの中でいろいろ相談していたんですけど、そうしたら一緒に入ってたおじさんがパッと僕の前に来て、『結果はどうであれ、ファンの前で長く走ってくれることが、応援している人からすると一番嬉しいことなんだよ』ということを言ってくれて。その言葉が、やっぱり僕、ずっと心の中に残っていて。それも長く頑張って続けて来られた(原動力の)ひとつかなと思います」 ──今後について、もしイメージがあれば。 「いまは本当に辞めたばっかりで、心のなかがホワっとした状態で、目標もいまは何もないのですが、やっぱりJRPに育ててもらったと勝手に思っているので、何かお返しができればいいなと思っています。具体的なことは何も決まっていないのですが、携わって、一緒に仕事ができたら嬉しいなと思います」 ──辞める決断のきっかけは。 「今シーズン始まる前にどこかでちょっと期限を決めてやっていかなきゃと思いまして、今シーズンで結果が残せなかったら辞めようと自分のなかでは決めていました。やっぱりこのスーパーフォーミュラのレースって、すごくドライバーとして重きを置いていて、すごく戦うのに精神的にタフだし、結果を残すのはすごく大変なことなんですけど、自分の頑張りと結果がなかなかリンクしないことがきっかけだったかなと思います。もちろん、結果がすぐに出ないというのはモータースポーツだけでなく、スポーツの世界ではわかっていることなのですが、頑張りがなかなか報われなくて、これ以上やっていたら本当にレースが大っ嫌いになってしまうんじゃないかと思ったので、自分のなかで期限を決めて、今シーズンを戦った感じです」 *ここで選手一同が登場して花束贈呈のサプライズ。 ──締めの挨拶を。 「選手の方々、お忙しいなか来ていただいてすごく嬉しかったです」 「14年間、みなさんたくさんお世話になりました。ありがとうございました。どんどんスーパーフォーミュラが盛り上がっていて、お客さんもどんどん増えて、選手もどんな苦しい状況でも頑張って戦っているので、そういったところにもっともっとフォーカスして、取材だったり、見ているお客さんだったりもフォーカスして応援していただけたら、すごく嬉しいなと思います」 「僕はフォーミュラを降りるのですが、まだまだレーシングドライバーとして頑張っていきますし、もちろんこのスーパーフォーミュラをフォローしながら見ているので……今後ともまだまだみなさんとサーキットでお会いすると思うので、まだまだ頑張ります!」 *以下、会見後の記者団との囲み取材でのやりとり。 ■「ちょっと楽しかった」最後のレース ──最終戦の段階では、もう決めていた? 「でも最終戦で優勝しようと思っていたので……結果が出なかったら、という感じで。優勝するつもりで毎回サーキットには来ているので、そこで自分が思うような結果を残せたらもう1年やろうと思っていたし。ただ、最終戦も思うような結果を残せなかったので、そこで決めました」 ──最終戦後にSNSで発表したタイミングについて。 「レースが終わって帰るときに、星野一樹さん(監督)には『今年で辞めます』というのは伝えて、その後はトヨタの方に伝えたりとか、お世話になった方に伝えていって。こういうの(会見)を開いてくれるとかはそのときは決まっていなかったのですが、そのトヨタの方とか、JRPの方がこういう会を開いてくれるとか、いつ発表した方がいいとか……そういうのを準備して(発表タイミングを)決めました」 ──寂しさや未練はないか。 「正直、悔しいなというのはあります。でもこれを続けて行って、“苦しい”だけしか残らなくなってしまうのは一番嫌だったので、やるからには結果を残したくてずっとやってきたので、未練と言ったら変ですけど、悔しさは残っています」 ──最終戦でクルマを降りる際には、マシンを労うような様子もあった。 「初めて、レースをしていて『楽しいな』と感じました。結果が出ているときは楽しいですけど、結果が出ていないレースでも全開全力で走って、結果を気にせずにスーパーフォーミュラを堪能できたので、最後のレースはちょっと楽しかなったなと感じました」 「あと、(阪口)晴南くんと最後のバトルになって、それも面白かったし、本当にいいクルマでスーパーフォーミュラを走っているだけで……もうドライバーとしてワクワクするようなクルマでこうやってレースをさせてもらったのはすごく感謝ですね」 「でもやっぱり降りるときは『これで終わりか』というような寂しさもありつつ、もっとこの楽しさに早く気づいていたらよかったのになと思いましたけど……楽しかったです」 ──タイトル獲得前年にはモノコックの問題もあったが、人知れず苦しんでいるドライバーに対して思うところは。 「僕は、一番いいものも見せてもらったし、一番どん底も味わったドライバーだと思うので……あとはやっぱり言えること・言えないことというのが、モータースポーツの世界ではものすごく多くて、そこがちょっと難しいところではあるし、ミドルフォーミュラなどですごく速くてトップに上がってきて、技術的にはトップレベルと変わらなくても、そこで順位がついてしまうジレンマみたいなものもあるし……。でも結果が出ないからといって頑張っていないわけじゃないし、もちろんそれはチームのスタッフもそうだし。その、もがいているところにもっとみんなフォーカスして行けたら、もっと何か頑張る勇気も湧くだろうし」 ──阪口選手はSNSで「飲みに行くとチャンピオン獲ったときの同じ話ばかりしてくる」と。 「僕もね、酔っ払ってるんであんまり覚えてないんだよね(笑)。まぁ、そんなに話してないですよ、1回か2回くらいなんですけど、(阪口が)盛ってるんですよ(笑)」 ──シリーズのお手伝いというのは、どういうことをイメージしているか。 「何も決めてないです」 ──とりあえずスーパーフォーミュラの写真を撮る?(※国本は写真が趣味。WEC富士戦ではTGRのパスでフォトグラファーも務めた) 「いや……まだなにも考えていないです。今週(鈴鹿に)カメラ持ってこようかと一瞬思ったんですけど、さすがに『ちょっと違うよな』っていうのは自分でも分かったので(笑)」 ──ドライバーの育成やチームの運営、ファンとの交流含めた仕事などへの興味は。 「いままで育成に携わったこともほとんどないですし、チームの仕事内容というのもあまり理解していないので、どれが自分に興味があるかというのも分からず、本当にいまは何も言えない状況です。目標がないって言ったら変ですけど、今後何をしていこうかというのはまったくいま考えていないので。ただ、もう少し経ったら『こういうことやりたいな』とか、開発も含めてチームに携わるとか、ファンに向けてとかいろいろ出てくると思うので、そのときにまたおいおい考えたいなと思います」 [オートスポーツweb 2024年12月16日]