陛下と"天皇の歴史"を学んでいる…「愛子さまには皇室の将来を背負う覚悟がある」とわかる"意外な行動"
■「自分はこんなに笑顔を見せていたのか」 国民スポーツ大会のロイヤルボックスで、敬宮殿下に柔道競技の解説をしたのは全日本柔道連盟の西田孝宏副会長だった。西田副会長は後日、自分が解説していた時の写真を見て「自分はこんなに笑顔を見せていたのか」とびっくりしたという。「振り返ると自分の笑顔も(敬宮殿下によって)引き出されていたかのようです。不自然な背伸びのようなものが何もなくて、本当に自然体の方でした」という感想を述べている。 ■「国民みんなの娘のように」 現地で、殿下と接した10人ほどの人々から取材をした大木記者は、記事の最後に次のように書いていた。 ---------- 「自分も含めて多くが親世代であることもあり、愛子さまがまるで、国民みんなの娘のように愛されていることを強く感じた。愛子さまは、会ったみんなを喜ばせて佐賀の地を後にされた」 ---------- 殿下に接した誰もが喜び笑顔になり、その笑顔はその周囲の人たちにも連鎖したに違いない。 ■被災地に心を寄せる天皇ご一家 敬宮殿下の地方での初のご公務は、もともと能登半島地震で大きな被害を受けた石川県志賀町と七尾市へのお見舞いが、9月に予定されていた。しかし、記録的な豪雨被害のために、やむなく直前に取りやめとなった。 これは、地震による深刻な被害に心を痛められた、殿下ご自身のご希望だったことが伝えられている。まさに「困難な道を歩まれている方々に心を寄せる」という殿下が自らつかみ取られた皇室の役目を、実践されようとされていたのだった。しかし残念ながら、やむを得ない事情のためにそれはひとまず中止になった。 だが12月17日には、天皇、皇后両陛下が豪雨による被害を受けた輪島市をお見舞いになられた。輪島市には、去る3月22日に能登半島地震の被災地として、珠洲市とともにすでに1度訪れておられた。石川県にはこれで年内に3度目のお見舞いになる。 これだけの短期間に天皇陛下が同じ被災地を訪れられるというのは、異例のご対応と言える。 これは、震災の後に豪雨によってさらに被害を受けたという特別な事情によるものだが、現地の苦しみに陛下がそれだけお心を砕いておられることの表れだろう。そこには、敬宮殿下のお気持ちも重なっていたと拝察できる。