「著者はボケ倒してるのにツッコミなし」直木賞作家・小川哲が『百年の孤独』を語る
世界は辺境化している?
長瀬 『百年の孤独』を英語で読んだという池澤夏樹さんと、勤めていた新聞社を辞めてまでラテンアメリカの地に留学してしまったという星野智幸さんの雑誌「新潮」での対話で、「マジックリアリズムが可能になるには辺境、周縁である必要がある」という話が出たのが印象的だったんです。マジックリアリズムは辺境を描くことによって歴史の暗部を浮かび上がらせるためのツールにもなるのかもしれません。小川さんがカンボジアや、あるいは直木賞受賞作の『地図と拳』で満州を描くのにマジックリアリズムが必要になったことと通じる話だと思います。そういえば小川さんは大学院で中上健次の研究をしていたと思うんですが、彼はガルシア=マルケスの影響を受けていると思いますか。 小川 ぼくがガルシア=マルケスから受け取ったものとはまた別の何かだという気はしますが、とても影響されていると思いますよ。ガルシア=マルケスは幼少期を祖父母に育てられたんですが、その祖母から聞かされた話が『百年の物語』の語り口のベースになっています。中上作品のナラティブにも土地特有の、民話のような響きが流れていますよね。 長瀬 ガルシア=マルケス自身はウィリアム・フォークナーが描いたアメリカ南部の架空の都市ヨクナパトーファを重要なトポスとして描いた作品群から大きなものを受け取って『百年の孤独』を書いたとされています。そして『百年の孤独』からの影響で中上は「路地」を舞台にした『千年の愉楽』を書き、小川さんは満州を舞台にした『地図と拳』を書いた。ぼくはそういう絵を見ています。 小川 そうですね。ぼくの場合は、正確にいえば満州を描こうと思った時にどういう書き方がありえるのか、しかも多くの人に読んでもらえる普遍性を獲得するためにはどうすべきかを考えて、『百年の孤独』のやりかたが浮かび上がってきたという感じです。何せ世界で5000万人が読んだわけですから、後進の小説家としては心強いですよね。 長瀬 独裁者があちこちで戦争をはじめている今、この文庫化は後世からみれば世界が「ガルシア=マルケス化」しているタイミングだったということになるのかなと感じています。