激白!なぜエ軍のローレンゼンは大谷翔平に続く“二刀流”挑戦を決意したのか…「ショウヘイが結果を出してくれたおかげだが、誰もが彼になれるわけではない」
高卒時、レイズから外野手としてドラフト7巡目で指名されたが、このときはジャスティン・ターナー(ドジャース)、マット・チャップマン(アスレチックス)ら、多くのメジャーリーガーを輩出している地元のカリフォルニア大フラトン校へ進学。来季からアスレチックスの監督に就任する先輩のマーク・コッツェイがそうだったように大学2年からクローザーも兼ねると、2、3年時は、大学のオール・アメリカンに選抜され、2年時には、大学の優れた二刀流選手に贈られる「ジョン・オルルド賞」の最終候補にも残っている。 大学3年でドラフトにアーリーエントリーすると、全米でもトッププロスペクトの一人として注目され、多くのチームから誘いがあった。 しかし、「投手で指名したい」というチームには断りを入れたそう。「自分は中堅手だから、外野手として指名してくれるところにいく、と伝えていた」。 ところがレッズの甘い言葉に心が動く。 「君は、すぐにでもメジャーで通用する。投手として指名させてくれたら、9月にはアロルディス・チャップマン(現ヤンキース)に繋ぐセットアッパーとして、マウンドに上がることになるだろう」 6月のドラフト後、すぐにマイナーで調整し、9月にはメジャーに昇格させるーーというプランに、ローレンゼンはすっかりのせられた。 「まだ21歳の大学生だったから、『あれっ? 俺ってピッチャーなのか?』ってすぐに心変わりしてしまった」 その約束はうやむやにされ、初登板は2015年4月。二刀流をやってみたい、という希望も叶うことはなかったが、2017年のオフ、大谷がポスティングされると、レッズも獲得に乗り出すことになり、「一緒に、大谷を魅了するようなプログラムを考えようと言われた」と振り返る。 「こっちにしてみれば、二刀流に挑戦させてくれ、と訴える度に、無理だって言ってたじゃないか、という感じだったけど」 結局、レッズは大谷を獲得できなかったものの、「ショウヘイのおかげで扉が開いたことは確か」とローレンゼンは言う。 すでに触れたように、2018年以降、少しずつ、二刀流のチャンスを与えられるようになった。 「なんとか結果を出さなきゃって、必死だったけどね。打てなかったら、もう打席には立たせてもらえないと思ったし、外野で球拾いをするときには、動きまくってアピールした」