パリ・オリンピックの文化プログラムを振り返る(前編):ミュージアムシティ・パリの表出
はじめに パリ2024オリンピック競技大会が、7月26日から8月11日までフランスで開催されている。 一般的にはスポーツ・イベントというイメージが強いオリンピックであるが、じつは「文化の祭典」でもあるということはあまり認知されていないように見受けられる。オリンピックにおいては、オリンピリズム(オリンピック精神)の普及を目指す観点から、スポーツ競技と同時に文化芸術の振興が重要なテーマとなっている。これは「文化プログラム;Cultural Programme」と呼ばれるものである。 国際オリンピック委員会(IOC)の「オリンピック憲章」では、前文に続いて「オリンピズムの根本原則」が記載されているが、そこでオリンピズムとは「スポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである」と定義している。すなわち、そもそもオリンピックとはスポーツだけではなく、文化・教育と一体となった活動なのである。こうした背景のもと、オリンピックでは「文化プログラム」の実施がIOCから義務付けられている。 近時の事例では、とくに2008年のロンドン大会で文化プログラムが極めて重要視された。文化プログラムとして英国全土で総数12万件弱が実施され、204の国・地域から4万人以上のアーティストが参加し、その観客者数は約4340万人にも達した。すなわち、オリンピックは「スポーツの祭典」であると同時に「文化の祭典」でもあるのである。 いっぽう、日本で開催された東京2020オリンピックは、新型コロナウイルス感染症の拡大により、史上初の延期、史上初の無観客、というこれまでにない環境下での開催となった。そして、文化プログラムに関しても、関係者は地道な努力を重ねたものの、当初の計画通りには実施できず、不完全燃焼のままに終わってしまった。しかし、もしもコロナ禍がなかったとしたら、はたして東京オリンピックの文化プログラムは「成功」と評価できるものになったのであろうか。 こうした疑問について考えていくうえで、2024年に開催されるパリ・オリンピックの文化プログラムは適切な補助線になると考えられる。 パリでは、オリンピックはこれまで2回開催されている。1900年に開催された第2回夏季オリンピックと1924年に開催された第8回夏季オリンピックである。今次の第33回夏季オリンピックは、パリにとって3回目の大会となる。成熟した都市において複数回のオリンピックを開催することに意義があるとすれば、このバリこそ、その明確な指針を提示するにふさわしい都市であろう。本稿では、パリ・オリンピックの文化プログラムの現地での調査結果を踏まえて、報告を行うこととする。 最初にパリ・オリンピックの文化プログラムの概要を整理しておくと、詳細なデータはいずれ公表されるであろうが、現時点での速報値としては、プログラム数は約2500件(約9万のアクティビティ)、予算は約4100万€(1€=170円で換算して約70億円)、国内及び国際機関とのコラボレーションは150件以上となっている。 そして、筆者が体感したパリ・オリンピックにおける文化プログラムの大きな特徴は、「ミュージアムシティ・パリの表出」「さまざまな施設が一つのテーマ、一つのロゴの元で文化プログラムを展開」の2点である。以下、それぞれの特徴を事例とともに概観してきたい。 ミュージアムシティ・パリの表出 パリ市及びその近郊地域に立地するほとんどすべて美術館・博物館がパリ・オリンピックの文化プログラムに参加している。以下、筆者がパリで実見した展覧会の一部を紹介したい。 ルーヴル美術館(Musée du Louvre) パリ市を、そしてフランスを代表するミュージアムであるルーヴル美術館でも、もちろんオリンピックの文化プログラムが実施されている。それは、「オリンピズム 現代の発明、古代の遺産:L’OLYMPISME Une invention moderne, un héritage antique」という展覧会である(2024年4月24日~9月16日)。 この展覧会では、近代オリンピックの起案者であるピエール・ド・クーベルタンたちが古代ギリシャの競技会をどのように再発明したかったのかを理解するために、19世紀末の最初のオリンピック競技大会の創設とその図像の資料を発見し、政治的背景や政治的背景を把握する機会を提供している。なお、この展覧会ではブレアル・カップとして知られる最初のオリンピック・カップを展示している。このカップはフランスの言語学者であるミシェル・ブレアルがデザインし、フランスの金細工師が第1回マラソンの勝者のために製作したものである(*1)。 プティ・パレ(Petit Palais) 1900年に万国博覧会のために建設されたプティ・パレでは、2つの文化プログラムを開催している。 ひとつは、「動く身体 文化オリンピックを記念した展覧会:The Body in Motion Exhibition on the occasion of the Cultural Olympiad」である(2024年5月15日~11月17日)。この展覧会は、古代(オリンピックの起源)から20世紀初頭までのプティ・パレのコレクションから、絵画、彫刻、美術品など50点の作品を展示している。展覧会は8つのセクションに分かれており、例えば、「身体の彫刻」と題されたセクションでは、身体の動きをとらえようとする彫刻家による生命力の探求に光を当てている。また、この展覧会には、「アスリートの言葉で」と題された写真作品も加わっている。これらは、複数のスポーツ選手が、自分自身の野心や目標に特に共鳴する作品をプティ・パレのコレクションから選択し、その作品と並んで写真に納まるというプロジェクトである(*2)。 もうひとつの展覧会は、「私たちはここにいる プティ・パレでストリート・アートを探索:We Are Here An exploration of street art at the Petit Palais」である(2024年6月12日~11月17日)。こちらの展覧会は、ストリート・アートをテーマとして、フランスの公立文化施設で行われる初めての大規模な展覧会である。ストリート・アート運動の主要アーティスト13名が200点を超える作品を展示し、常設コレクションや美術館建築と対話を試みる。なお、展覧会のタイトル「We Are Here」は、公民権運動などでスローガンとして使われてきた(*3)。 パリ市立近代美術館(Musée d'art moderne de la Ville de Paris) 1937年に建設された歴史的建造物であるパリ市立近代美術館では、「文化オリンピック 永久コレクション:Olympiade Culturelle Collection permanente」が開催されている(3月1日 ~8月25日)。 この展覧会では、近代美術館のコレクションのなかから、スポーツを描いた8人のアーティストの作品を選定し、鑑賞コースを造成している。そのなかでも最大の作品は、アンリ・マティスの記念碑的な三連作《ラ・ダンス》(1930-1933)で、6人のダンサーたちの身体が躍動し、生きる喜びが画面にあふれている力強い作品である(*4)。 パリ市立モード博物館(Musée de la Mode de la Ville de Paris) 1894年に建設されたガリエラ宮殿(Palais Galliera)こと、パリ市立モード博物館では、展覧会:「動きのあるファッション#2:LA MODE EN MOUVEMENT#2」が開催されている(2024年4月26日~2025年1月5日)。ガリエラ美術館のコレクションから250点以上の作品が展示されているこの展覧会は、18世紀から現在までを対象として、身体活動やスポーツ活動の実践における衣服の役割から、その進化の社会的影響など、身体の動きを切り口としたファッションの歴史をたどっている。例えば、海辺のセクションでは、19 世紀末からのスポーツの民主化の象徴である海水浴と水泳に焦点を当て、そこから、公共の場での身体の露出と、謙虚さと礼儀の概念を通じた身体との関係の進化を紐解いている。これはガリエラ宮殿に保管されている水着、水着、ビーチ用の衣装、アクセサリーの重要なコレクションを再発見する機会ともなっている。また、ナイキのシューズとヒップホップとの関連についての展示もある。なお、この「ファッション・イン・モーション」は、 #1が2023年6月16日から2024年3月15日まで、同#2は2024年4月26日から 2025年1月5日まで、同#3は2025年2月8日から9月7日まで、と足掛け3年にわたる長期的な企画展となっている(*5)。 マルモッタン・モネ美術館(Musée Marmottan Monet) モネの《睡蓮》のコレクションで有名なマルモッタン・モネ美術館では、「競技! 芸術家とスポーツ:En jeu ! Les artistes et le sport」と題した展覧会が開催されている(2024年4月4日~9月1日)。この展覧会では、1870年から1930年まで、印象派からキュビズムの時代までのスポーツの視覚的な歴史をたどり、スポーツやアスリートがどのようにして近代芸術または前衛芸術の主題として確立されたかを示している。この時代は、近代オリンピック(1896年~)が古代の精神を復活させたいという願望を象徴していた時代でもある。この展覧会では、モネ、ドガ、カイユボット、トゥールーズ=ロートレック、イーキンス、リシェ、マイヨール、ロダン、ベローズ、ローテ、ドローネー、メッツィンガーやグロメア等のアーティストによる100点以上の重要な作品を、自館だけではなく、日本(葛飾北斎)を含む世界各地の美術館のコレクションから借用して展示している(*6)。 郵便博物館(Musée de La Poste) フランス郵政公社(La Poste)が運営する郵便博物館では、展覧会「マラソン、メッセンジャーの道:Marathon, la course du messager」が開催されており、映画、ポスターや新聞、スポーツ用品、文学、漫画、その他の美術作品など、160点の作品を展示している(2024年5月15日~9月15日)。郵便がオリンピックと一体どういう関係にあるのか、と思うところではあるけれど、その関係性は次の通り。 そもそも「マラソン」は、1896年にアテネで開催された第1回近代オリンピックのために考案されたオリンピック種目である。この種目は、紀元前490年に、「マラトンの戦い」におけるギリシャ連合軍の勝利を軍に知らせるために、40km以上走って死んだフィリピデス(またはエウクレス)の伝説(創作という説もあるようであるが)にヒントを得て考案された。そして、このマラソンランナー「フィリピデス」を「郵便配達人の祖先」と見立てたのが、郵便博物館の「マラソン」展というわけである(*7)。展覧会ではギリシャ時代の文化財等も当然のごとく展示されているのであるが、そのいっぽうで、「走る」という視点から、様々なアーティストの作品等が展示されており、現代アートの展示としてもかなり面白い。あるかもしれないと思って探したら、やはり展示されていたのが「ハルキ・ムラカミ」の書籍『走ることについて語るときに僕の語ること』。そのほかにも、ボルタンスキーの作品やサンタナのアルバム『マラソン』(1979)まで、キュレーターの遊び心が横溢する展覧会だ。 見えた日本のミュージアムの構造的課題 冒頭で「ミュージアムシティ・パリの表出」と整理したが、それだけではパリにおける文化プログラムの特徴を説明するのに言葉足らずであろう。 第一に、美術館だけではなく、個人記念館や図書館、文書館までもが文化プログラムの機会を活用して、自館のコレクションを蔵出しするとともに、文化プログラムについて自館の存在価値を対外発信する絶好の機会ととらえている姿勢が伺える。これだけ多数の文化施設が参加した理由は、オリンピックという史上最高の文化事業に参加することで、それぞれの施設やコレクションのアピールができると考えたからであろう。実際、文化プログラムのディレクターであるDominique Hervieu氏へのヒアリングによると、参加した施設や機関の約7割が、オリンピックの文化プログラムが自らの施設にとって特別な機会になったと回答しているとのことである。 第二として、たんに数のうえで多くのミュージアムが参画しているだけではなく、それぞれのミュージアムのキュレーターたちが、自館のコレクションを最大限に活用しつつ、創意工夫を発揮している点も大きな特徴である。紹介した事例のなかでは、郵便博物館の展覧会「マラソン、メッセンジャーの道」に端的にその特徴が表出している。周知の通り、近代オリンピックの提唱者はフランス人のピエール・ド・クーベルタンであり、オリンピック精神はフランスにおいて普及・定着している。おそらく、フランス政府またはバリ市等から、オリンピックの文化プログラムに参加するようにとの強い「要請」がそれぞれのミュージアムに通達されたものと想像される。しかし、こうした「アームズ・レングスの短さ」を逆手に取って、キュレーターが本来の「スポーツ」というテーマからも確信犯的に逸脱して、遊び心の横溢する展示を実現している点は特筆すべきであろう。 ちなみに、これらの文化プログラムは、シンプルなテーマ「スポーツ」のもとに展開されている。この「スポーツ」というテーマはオリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(COJOP :Comité d'Organisation des Jeux Olympiques et Paralympiques)が決定した。組織委員会では「スポーツ」というテーマの具体的な方向性として、ウェブサイトで次の3項目を例示している(*8)。 * スポーツを芸術表現のテーマとして使用する(例:スポーツの実践に関連したイメージを強調した写真の展示等) * スポーツ会場で開催されるか、スポーツ・イベントに関連する(オリンピックデーに企画されるコンサート等) * スポーツと文化に共通する価値観を強調する(例:普遍主義、包括性、文化的多様性、卓越性の価値観に基づいてデザインされた芸術作品等) いっぽうで、もしも東京オリンピックにおいてコロナ禍がなかったとしても、これほど多くのミュージアムにおいて、それぞれのキュレーターが自館のコレクションを活用しつつ、遊び心を発揮して、このように興味深い展覧会を企画・実施できたであろうか。この彼我の差は、日仏のキュレーターの質的な差異であるというような乱暴な議論はもちろん成り立たない。ではいったい何がこのような展開の差を生み出しているのであろうか。 ここにやや古いデータではあるが、国立の博物館・美術館に関して、日本と諸外国を比較した資料がある。同資料によると、日本の国立博物館(4館計)の職員数(カッコ内はうち学芸員数)は216(102)人である。また、国立美術館の職員数(同)は114(57)人である。これに対して、フランスのルーブル美術館は1519(150)人、英国の大英博物館は950(250)人、韓国の韓国中央国立博物館は248(76)人となっている。いっぽう、入館者数に関しては、日本の国立博物館は503万人、国立美術館は456万人であり、ルーヴル美術館は約846万人、大英博物館は600万人、韓国中央国立博物館は約228万人となっている(文化庁2010:9)。この比較から文化庁は、我が国の国立博物館と国立美術館は「効率的に運営されている 」 (文化庁2010:7)と分析している。それにしても、この分析ははたして妥当なのであろうか。例えば、家計調査の分析において、貧困家庭の家計に関して「効率的に運営されている」と政府が記述したとしたら、社会的に大きな問題が生じるのではないであろうか。 上記のデータが提示していることは、端的に言うならば、日本のミュージアムの抜本的な脆弱さである。ミュージアムにおいて必要十分な職員(学芸員)がいないということは、個々の職員(学芸員)にそのしわ寄せが負荷としてかかっているということを意味する。そしてそのことは、そのような職場において、プロフェッショナルとして尊厳を持って、かつ安心・安全に働き続けることができるのであろうかという疑問を導出することになる。 パリ・オリンピックの文化プログラムを概観して感じることは、パリの取り組みの素晴らしさであると同時に、日本のミュージアムが抱える構造的な課題なのである。(後編 に続く)
文・撮影=太下義之(同志社大学教授)